近鉄バファローズを愛するキャンドル屋 藤本成啓(もっさん)のブログ

大阪市生野区出身/1978年生まれ/男の子3児の父/野球、近鉄バファローズをこよなく愛しました。ビール、ラーメン、あんかけパスタ、移動の車で音楽を聴くのが好き。ジャンルは広いです。カメヤマローソク(カメヤマキャンドルハウス)でウェディング施設、ホテル、旅館、雑貨店、飲食店、レストラン、イベントにキャンドルの営業をやっています。エクスマ塾大阪84期 ニックネーム:もっさん

近鉄バファローズ回顧録⑦「ドラフト1位入団拒否 福留選手がもし入団していたら」

今日はエクスマ塾のためお休みもらって大阪へ行きます。もっさんです。

 

寝る前や移動の合間とか、ブログを書くために記憶の奥を探したり、調べたりしていたら、あーーー、こんなことあったなーってことが出てきます。今日はそんなお話の1つ。幻の近鉄戦士のお話です。

 

史上初の高卒選手の7球団競合の福留孝介選手 

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引用元:日刊スポーツより

www.nikkansports.com

 

昨日、千葉ロッテの井口選手が引退を表明しました。数少ないダイエー選手ということも紹介され、そういえば、近鉄戦士は今は誰だったかな、と調べてみると、あと3人なんです。

岩隈久志投手(現マリナーズ

近藤一樹投手(現ヤクルト)

坂口智隆外野手(現ヤクルト)

実は、今日の本題の福留選手(現阪神タイガース)は幻の近鉄戦士が一人です。

 

ドラフト7球団競合で、入団拒否されちゃった

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引用元:毎日新聞

写真特集:福留孝介の軌跡 - 毎日新聞

 

福留選手は、名門PL学園の4番ショートで甲子園出場。ちょうど年齢がボクの1つ上で、同じ大阪だったので、大阪予選の開幕戦でPL学園の試合があり、えげつない打球、ライナーで右中間フェンスに直撃を放ち、すごさを目の当たりにしたのをよく覚えています。もう22年も前の話ですが。。。

 

記事にも書かれているように、当時、意中の球団の巨人、中日以外は、社会人野球(日本生命)へ、と公言しておりましたが、高校生選手としては史上初の7球団競合、結果、近鉄佐々木恭介監督が交渉権獲得のくじを引き、佐々木監督の代名詞「よっしゃーーー!!!」は名場面でした。

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引用元:毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20160626/ddn/041/050/005000c

 

福留選手は、3年後のドラフトで中日を逆指名で入団し、活躍。近鉄監督だった佐々木恭介さんもその後、中日ドラゴンズのコーチになり、同じチームになります。コーチと選手として、切磋琢磨し、福留選手の活躍があったそうです。

 

もし、福留選手が近鉄に入団していたら。。。

ここからは、もっさんのタラレバです。昨日に続き、妄想です。

もし福留選手が高卒で入団していたら、1996年が1年目シーズン。当時4番の石井浩郎選手が近鉄に在籍した最後のシーズンです。もし、2人がそのままいたら、どうなっていたでしょうか。

近鉄最後の優勝が2001年でした。ベテランの域に達していた石井選手、福留選手が高卒6年目として活躍していたと妄想したら、代名詞のいてまえ打線の破壊力は抜群でしたね。

●2001年のスタメン

1番センター 大村 2番セカンド 水口 3番レフト ローズ 

4番サード 中村紀 5番ライト 磯部 6番ファースト 吉岡 

7番DH 川口 8番ショート ギルバード 

9番キャッチャー 的山(または古久保)

これが、こうなっていたかも。。。

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●2001年スタメン(福留、石井入りの、もっさん妄想スタメン)

1番 ショート 福留 2番セカンド 水口 3番レフト ローズ 

4番サード 中村紀 5番ファースト 石井 6番ライト 磯部 

7番DH 川口 8番キャッチャー 的山(または古久保) 9番センター 大村

1番福留から、破壊力抜群のいてまえ打線。若手中心も、ベテラン石井の勝負強さと、侍石井がチームを締める夢のチーム。そんなチームになっていたかも。見たかったなー。。。

 

千葉ロッテ 井口選手の引退から、数少ないダイエー選手ということから、幻の近鉄選手だった福留選手のことを思い出しました。あっ、福留選手も大好きな選手のひとり、これからの活躍も楽しみです。

 

ということで、近鉄バファローズのドラフトの小話でした。それでは、またー。

 

 

 

もし、1988年 近鉄バファローズの、あの10・19のときに、Twitterがあったら・・・

今日の記事は、あくまでもボクの妄想です。もっさんです。今日はただただ妄想記事ですし、ツッコミどころあっても、そのまま胸に閉まっておいてもらえると助かります(笑)

 

もしTwitterが、1988年にあったら、あの10・19はどうなったか

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ほんと、ただの妄想記事です。サッカーのワールドカップ予選のときなんか、試合の経過を見ながらツイートして盛り上がっているのをよく見ます。もしこれが、あの10・19のときにあったら、盛り上がるポイントあったやろうなあって思うんです。

あっ、10・19って何という人がほぼ大半なので、こちらを合わせてご覧くださいね。

shigefujimo.hatenablog.com

 

shigefujimo.hatenablog.com

 

今振り返ると、名場面、盛り上がる場面、一喜一憂する場面が多数あり、僕が上の記事で書いた部分も、盛り上がる部分だと思うんです。

1988年は昭和63年です。伝説の試合と言われる10・19のときに、もしTwitterがあったら、どんな盛り上がりになってたんやろか。考えただけでワクワクします。

 

数々の名場面があって、盛り上がりポイントがあるのですが、今までの記事で書いていないところを中心に書いてみたいと思いました。お時間あればお付き合いください。

 

阪急球団の身売り

実は、この10・19には、もう1つプロ野球界を賑わした話題がありました。名門阪急ブレーブスオリックスへの身売りが発表された日でした。パ・リーグの優勝が決まる日、空気を読まず、身売りの発表がありました。この年、これまた名門、南海ホークスダイエーへ身売りが発表されていたのですが、阪急ブレーブスがこの日に発表されました。

阪急身売り!!!パ・リーグの優勝が西武なのか近鉄なのかが決まる日に関係ない、半球の身売りでTwitterは騒然!トレンド入りしていまうことでしょう。

 

9分間の抗議

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9回裏ロッテの攻撃、2塁への牽制球でアウトの判定、ただし、このプレーは、大石選手が2塁ランナーを押し出すようになってしまい、走塁妨害ではないかとロッテ有藤監督が抗議。第2試合は、試合開始後4時間を経過して新しいイニングに入らないというルールがあり、引き分けが許されない近鉄バファローズは、10回の攻撃に入りたい、抗議の時間も無駄にできない、という状況。この時点で3時間30分を経過していた状況での抗議。

これは荒れただろうなーーー。9分間の抗議で、Twitterで一気にトレンド入りしただろうなーーー。

でもね、これ、監督としては当然の行為かもしれません。2塁ランナーも走塁妨害を主張しているのに、監督が抗議しない、選手を守らないといけないとも思うので、微妙なところ。ただ近鉄バファローズファンは「抗議やめろー」のツイートの嵐だったんじゃないかな。

 

テレビ中継

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大阪は第1試合から放送されていたようですが、関東は放送されていなかった。テレビ朝日では「放送してくれ!」との電話が殺到し、第2試合の途中から21時から全国放送、21時からの「さすらい刑事」を15分繰り下げのつもりが30分繰り下げとなり、結果、終われない試合状況のため、結果的に中止し、ニュースステーションでもそのまま野球中継を放送しました。もし、Twitterがあったら、テレビ放送の希望が殺到し、もっと早くから放送したかもしれません。

逆に、観客からのライブ放送がアップされまくり、動画がアップされまくり、Twitterがパンクしたかも?そんなこともあったかなー。

あっ、上の画像の久米宏さんの“This is ニュースステーション”は、9回表の近鉄チャンスの場面での、新井選手の痛烈な三塁線への辺りをロッテの三塁手の水上選手のファインプレーでアウトにした場面での、実況の安部さんのコメント“This is プロ野球”からアドリブで言われたコメント、これも10・19の名場面の1つだと思います。

 

7時間33分の死闘

第1試合3時間21分 第2試合4時間12分 合計7時間33分の試合が終わる頃、スマホの充電は当然ながらもちません。やはり、モバイルバッテリーは必須ですね。という現実的な視点で締めたいと思います。

 

ありえないけど、もし当時のTwitterがあったら、各名場面でどんなに盛り上がったんやろか、考えるだけで楽しくなります。

ということで、それでは、またー。

 

 

近鉄バファローズ回顧録⑥“野茂投手と同期入団の選手 石井浩郎選手 ”

近鉄バファローズの代表する4番バッターの1人、石井浩郎選手。近鉄バファローズ時代は知らなくても、全国的に有名になったのは、巨人に移籍してからの日本テレビの日曜日朝の番組内のミニコーナー「拝啓 石井浩郎です」ではないでしょうか。

 

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石井選手は、1989年のドラフト3位で近鉄バファローズへ入団しました。

そのときの1位指名は、先日ブログに書きました、野茂英雄投手。結果的に、近鉄バファローズは、その年に、エースと4番をドラフトで獲得した素晴らしい年だったんです。

shigefujimo.hatenablog.com

どうも、もっさんです。ということで、今日の近鉄バファローズ回顧録は、石井浩郎選手です。

近鉄バファローズは、こんなチーム

近鉄バファローズというチームは、「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまい、「ダメだ」「無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームです。

チャンスに強い4番バッター 石井浩郎選手

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ボクの当時の記憶だと石井選手の入団は地味だった記憶があります。ドラフト1位で野茂投手が入ってきたから。1年目の7月に新人ながら月間MVPを受賞するのですが、確かそれは、新人の月間ホームラン記録になるぐらい、ホームランを打ったからだと思います。懐かしいなー。間違ってたらごめんなさい。

1年目から22本のホームランを放ち、以降5年間、近鉄の4番として活躍しました。ボクは少年ながら、そのチャンスに強い4番というイメージがあり、ホームランは、一緒にクリーンナップと張る、ブライアントやトレーバー、リードなど助っ人選手が放ち、チャンスで必ずランナーをホームへ迎えるのが、石井選手らしさだったと記憶しています。

侍と呼ばれた石井選手らしい独特のフォーム、フォロースルーが特に独特で、こうやって打ちたかったですが、マネできませんでした。バックスクリーンへ放り込む、石井選手のバッティングが一番好きだったなーーー。

共感する人いてるかわかりませんが、動画みつけましたので、どうぞ!

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エース野茂投手に続き、巨人へ移籍してしまう4番バッター

揉めて、大リーグ移籍した野茂投手に続き、四番の石井選手が1996年オフ、巨人へトレードになってしまいます。またまた契約で揉めてしまいます。(前年の怪我で2試合しか出れず、契約更改で揉める)近鉄を振り返るとこんなことばっかり。大好きな石井選手が巨人に移籍してしまいます。(ただ、石井選手が好きだったので、 当時巨人戦はテレビでたくさんやっていたので、個人を観る意味ではよかったけど)

近鉄はこうやって主力と揉めて放出してしまうのですが、ほんとファンとしては、なんでやねん。な心境であります。

 

巨人へ移籍した1997年は、四番バッターばかり集める巨人と揶揄され始めた頃だと思います。FAで清原を獲得し、その2年前には、広沢(ヤクルトの4番)や、ハウエル(ヤクルトの5番)がいたりと、そこに、石井選手が加わりました。怪我で出遅れたこともあり、スタメンは6月からでしたが、主にこの頃から、代打がメインになっていきました。

 

石井選手は、4球団を渡り歩いた選手。それぞれの球団でファンに愛される男でした。引退試合もよく覚えています。在籍したことがある巨人ファンからも熱く温かく送り出された愛される選手。

 

動画を観ると、泣けてきてしまいます。

怪我に泣かされた石井選手。もし怪我がなければ、石井と中村紀と黄金のクリーンナップが近鉄で組まれていたんじゃないかな、あくまでも妄想ですが、近鉄ファンとしては、観たかったクリーンナップでしたね。

 

今、参議院議員で活躍されているようですが、またプロ野球会に戻ってきて、侍を育ててほしいな、と思います。

 

そんな石井選手、ほんと大好きすぎて、記憶にずーーーーとあったんじゃないかな。ボクは大学時代、そんな石井選手に憧れてリストバンドは赤にしてました。 

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ということで締めたいと思います。

それでは、また。