近鉄バファローズを愛するキャンドル屋 藤本成啓(もっさん)のブログ

大阪市生野区出身/1978年生まれ/男の子3児の父/野球、近鉄バファローズをこよなく愛しました。ビール、ラーメン、あんかけパスタ、移動の車で音楽を聴くのが好き。ジャンルは広いです。カメヤマローソク(カメヤマキャンドルハウス)でウェディング施設、ホテル、旅館、雑貨店、飲食店、レストラン、イベントにキャンドルの営業をやっています。エクスマ塾大阪84期 ニックネーム:もっさん

近鉄バファローズ回顧録 “最後の監督 梨田昌孝”

近鉄バファローズ最後の監督 梨田監督、近鉄の合併、消滅を語る上で、この人を書かないわけにはいけません。

梨田監督は、近鉄バファローズで選手と監督で優勝を経験した唯一の人物です。

 

子供の頃の近鉄バファローズの背番号8は、梨田選手。10・19でのヒットは記憶からなくなりません。

 

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数年前、近鉄ファン、梨田さんのファンと言っていたら、会社のオーナーが梨田さんの写真をくれました。(笑)なにかの会合で一緒し、同じテーブルだったそうな。

 

こんにゃく打法

梨田監督は、1971年ドラフト2位で指名され、近鉄バファローズへ入団。以降、強肩の捕手として活躍しました。当時、盗塁王 福本選手がいたにもかかわらず盗塁阻止率.500を超える年もありました。また、当時、近鉄バファローズには、2人の捕手がいました。梨田選手と、有田選手。強肩の梨田、強打の有田というそれぞれの特徴を持ち、捕手2人体制でやってきました。梨田選手は打撃向上を目指し、独自の打法「こんにゃく打法」を編み出し、打撃力もあがってきたといいます。 

 

梨田さんのこんにゃく打法 現役最後のヒットは、あの10・19の1試合目の9回勝ち越しのタイムリーです。

同点で代打で登場。このまま引き分けなら優勝が無くなる場面。そこでの勝ち越しタイムリー。男 梨田の仕事です。

 

最後の試合の前に選手にかけた言葉

梨田選手はこの年で引退することが決まってしまいました。10・19と呼ばれ、最後の最後まで優勝争いをしていたことで、引退試合を行っていませんでした。チームから翌年のオープン戦で引退試合の打診をされたそうですが、「あの10・19を私の引退試合にしたい」というような旨のことを言い、打診を断ったそうです。すごくいい話じゃないですか?10・19の裏側の話、10・19が最高の試合だったので、それを引退試合にするなんて、かっこいいです。

 

最後の監督としての誇り、選手、スタッフへの愛

先に書きましたが、梨田監督は、近鉄バファローズ最後の監督。最後の優勝監督でもあります。2004年、球団が合併するときの監督です。

ファンとして、人間として、心打たれることがありました。

最後の試合の前、選手たちに声をかけました。

 

「お前たちの今つけている背番号は近鉄バファローズの永久欠番だ」

 

 永久欠番というのは、長く、その球団で活躍し、その功績をたたえ、以降、その背番号は誰もつけない、ずっと欠番のままにしておく、ことです。近鉄バファローズでは、唯一の生え抜きでの名球界投手 鈴木啓示投手の1番が永久欠番でした。

球団が消滅する、チーム、仲間が離れ離れになる、なんなら、これからみんなどこで野球をするかもわからない心理の中で、最後まで胸を張って野球をしてほしい、試合をしてほしい、近鉄バファローズの誇りを持って。そういう意味を込めて、かけた言葉なんだと思います。

 

最後の試合のコンパクトバージョンの動画です。昨日の動画より短いよ。(8分ほど)

すぽるとの放送の動画。合併問題から入っているので、短時間で合併問題がわかりやすい動画です。

 

オリックスへのヘッドコーチ就任打診

当時のことをよく覚えています。新聞で読んだかな。

2005年から、オリックスバファローズになることで、オリックスから梨田監督へ、ヘッドコーチ就任の打診の話がありました。初代監督は、恩師 仰木監督。恩師の力になりたい、という想いがあったそうですが、断りました。

選手、スタッフやファンがバラバラになり、その進路も決まらないというのに、自分1人が残るのは望ましくない

という考えだったそうです。

選手、コーチ、スタッフなど近鉄バファローズの皆が、これからどうなるのか、次に野球するところがどこなのか、決まってない中で、自分だけが先に決まるわけにはいかない、ということで、ヘッドコーチの打診の話を断ったそうです。仰木監督の力になりたかったそうですが、それよりも、一緒にやってきたコーチ、選手、スタッフのことを思う愛のある監督で、この話を聞いたとき、心を打たれたのを覚えています。

 

その後、梨田監督は、日本ハム監督を、2008年~2011年の4シーズン、2016年からは、楽天で監督を務めています。

近鉄では、2年目に優勝、日本ハムでも2年目に優勝、そして、楽天2年目の今シーズンは、首位を走っています。(2017年7月19日現在)

近鉄バファローズの最後の監督、ユニフォームは違えど、もう一度、胴上げを見たいな、と思います。そして、まだ経験のない、日本一を達成したあとの胴上げを見たいな、と願っています。

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たまたまなのか、梨田さんの背番号8を、子供の頃、大学生のときは縁がありました。

 

ということで、それではまた。

 

 

近鉄バファローズ回顧録 “球団合併 近鉄球団消滅”

球団が合併したからと言って、ファンは合併できません。これが今日、ボクの伝えたいことです。

この記事は、もっと早く書きたかったけど、うまくまとめることができずに、なかなか更新できませんでした。何を書けばいいのかなって考えて。

でも、書きたいことはただひとつだったので、ようやく更新できました。

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目を疑った衝撃の速報。

2004年シーズンをもって、近鉄バファローズはオリックスブルーウェーブと合併する。と速報が入ったのは、2004年6月13日 日曜日。当時、名古屋へ転勤になって、1人暮らしの部屋の14インチのテレビでニュース速報が入ったその画は、今でも忘れられません。

 

「おい、ほんまかいなっ!!!」

 

信じられますか?自分の好きなチームが、他球団と合併するってこと。

たいてい、球団は、身売りといって、球団ごと売って親会社が変わることが今までの流れでした。

南海ホークスは、ダイエー→ソフトバンクへ

阪急ブレーブスは、オリックスへ。

横浜ベイスターズは、DeNAへ。

 

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大人の世界はよくわからないけど、近鉄球団はオリックスと合併を選択し、協議に入っていると報じられました。

近鉄球団の経営難は前兆がありました。今思えば。

2004年の初めに、近鉄バファローズの球団名をネーミングライツ(命名権)を募集することを発表しました。結果的に、他球団から反発を受けて実施されることはありませんでした。

本拠地を藤井寺球場から大阪ドームへ移転したことで、近鉄電車で球場にいくことができなくなりました。

ポスティングシステムで、メジャーリーグ移籍を動いた大塚投手が、メジャー移籍の交渉が不調に終わると、金銭トレードで中日へ放出しました。

 

この合併交渉に入っていると報道があってから、プロ野球界は大問題として世間の注目を浴びました。

ライブドアの堀江社長(ホリエモン)は近鉄球団の買収に動き、また、もう1つの合併が進んでいることが報じられ、2リーグ12球団から、1リーグ10球団への動きが明るみなりました。

プロ野球界で初のストライキを2日間実施。

近鉄とオリックスの合併が決まっていることということで、ライブドアの買収が不調に終わり、ライブドアと楽天が新球団設立で、新規参入を図る。

など大いに世間の注目を浴びました。 

詳しいことは、下記に書いてあるので、読んでみてね。 

プロ野球再編問題 (2004年) - Wikipedia

 

球団は合併できても、ファンは合併できない

ボクが一番感じることはこれです。

近鉄バファローズがオリックスブルーウェーブと合併するって?

合併したら、球団名は、オリックスバファローズになって、「バファローズ」の名前が残るって? 

いやいや、バファローズは近鉄バファローズのものであって、オリックスのものではないし、オリックスバファローズになったからと言って、オリックスを応援することができません。

近鉄バファローズが身売りして、親会社が変わって、球団の歴史が引き継がれるのなら、話は別です。

いてまえ打線はどうなるの?「いけると思ったらダメになり、もうあかん、と思ったら、期待を裏切って、いってしまう」近鉄バファローズらしさはどうなるの?

球団が合併したからと言って、ファンは合併できません。これがボクの感じたところです。

 

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現在のオリックスファンの方には、申し訳ないけど、ファンサービスの一環や、イベントの企画として、昔のユニフォームでプレーするゲームが最近増えてきました。オリックスバファローズが、近鉄バファローズのユニフォームでゲームしても、ボクはおもしろくありません。(個人的見解です)

 

 

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オリックスバファローズの打線を、いてまえ打線、と言われることがありますが、いてまえ打線は、近鉄バファローズのものであり、オリックスバファローズのものではありません。(個人的見解です)

近鉄バファローズという、マイナーで、泥くさく、やったれ、いってまえ!な精神の愛すべき球団であり、愛すべき選手たちが躍動した打線、その歴史が培ったものであり、オリックス(阪急)の球団のものではないから。

 

だから、ボクはファンは、合併できない、って考えています。

 

しかし、近鉄バファローズというのは不思議なもので、野茂投手のメジャーリーグ挑戦により、その後のメジャー挑戦の扉を開くきっかけになったり、この合併を機に、セ・パ交流戦が始まったり、ときっかけになっているのが、おもしろい。歴史に名前を残している球団なのかな。

 

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近鉄バファローズは、55年の歴史で、パ・リーグ優勝4回、日本一なし、という、当時存在していた12球団で唯一、日本シリーズ制覇なしという球団でした。近鉄バファローズの日本一を見ることなく、近鉄バファローズは消滅をしました。

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だからね、ボクの言いたいことはただひとつ、もし好きなスポーツチームがあったら、応援できるって幸せだと思います。時間があったら、試合を見に行ってくださいね。心底応援してあげてください。勝てば喜び、負けたら悲しい。それって幸せです。

 

子供の頃から好きだった近鉄バファローズが、こんなことになるとは想像できなかったけど、もし子供の頃から好きなチームがあって、今も応援しているなら、幸せですよ。ってボクは思います。

 

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あとがき

最後に、近鉄バファローズの最後の試合の動画を見つけたので、どうぞ。近鉄バファローズ、最後の日です。近鉄バファローズファンなら、涙の動画になりますので、ハンカチ片手にどうぞ。(17分ほどの動画、長いので、お時間あるときに観てね)

 

 

この近鉄バファローズの最後い関連するエピソードでお伝えしたいことがまだあるので、それは、また改めて書きます。

ということで、それではまたー。

近鉄バファローズ回顧録 “ストッパー 赤堀元之投手”

ボクの知っている近鉄バファローズの強い時代には、心強いストッパー(抑え投手)が必ずいました。80年代後半の吉井投手、2001年の優勝のときには、大塚投手、そして、1990年代のストッパーと言えば、赤堀投手。

中継ぎの佐野投手と、ストッパー赤堀投手。心強いリリーフ陣を形成していた時代の、赤堀投手は、近鉄最強のストッパーだと思います。

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もっさん的、ストッパー 赤堀投手のすごい記録

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切れるストレート、縦と横のスライダーとシュートを持ち球に、試合を締める投手。切れるストレートを持った投手というのは赤堀投手の印象です。

ボクが赤堀投手がすごいな、と思うのは、最優秀防御率のタイトルと獲得したことなんです。1992年入団4年目のシーズンですが、ストッパーのタイトル 最優秀救援投手(22セーブ 32セーブポイント)を獲得しながら、最優秀防御率(防御率1.80)でタイトルを獲得したのです。

 

最優秀防御率というのは、少なければ少ないほどいいのですが、簡単に言うと、その投手が、9回投げて何点取られるか、という数字。投げて抑えれば抑えるほど、数字は下がり、店を取られれば取られるほど、数字はあがります。

また、このタイトルには、規定があり、規定投球回数というものがあります。当時、年間130試合でしたので、130回の投球回数が必要になります。

ストッパーというのは、勝ち試合の試合終盤に登板し、ゲームセットを締めるというのは仕事。今では、9回の1イニングというのが一般的。例えば、年間半分の72試合に登板、1イニングだけ投げたら、72イニングという計算です。

 

この年の赤堀投手は、50試合の登板(うち2試合は、シーズン終盤の2試合に先発)しました。10月を迎える頃に、最優秀防御率のタイトルが見え規定投球回数まで15イニングとまできたので、先発までこなしました。

これだけ投げていたストッパーということは、1度の登板で、1イニングだけでなく、2~3イニングという、回またぎ、といわれるものを頻繁に、こなしていたことになります。

(調べたわけではないですが)、特に近年のプロ野球では、こういう投げ方をする投手起用はないので、すごい記録だと考えます。

 

赤堀投手は、1992年~1994年まで3年連続、そして、1996年~1997年の2年連続、合計5回の最優秀救援投手を獲得し、合計139セーブを記録しましたが、これは、近鉄バファローズの球団記録、数字的にも、近鉄バファローズ史上最高のストッパーということです。

 最後に、オールスターでの登板の動画を見つけましたので、どうぞ。

個人的に、阪神パチョレックが懐かしいですが、池山、原、駒田、達川と往年のスター選手に、堂々の投球を披露しました。 

 

ということで、それでは、また。