近鉄バファローズ回顧録⑧「サインボールから回想された、ゆるゆるの藤井寺球場」
新井宏昌さんのサインボールから思い出したんですが、藤井寺球場って、ゆるゆるでした。
家にある新井宏昌さんのサインボール
絶対に捨てることなく、大事に持っているサインボールがあります。近鉄バファローズを代表する選手の1人、好打者 新井宏昌さん。通算2000本安打を達成した巧打の打者です。新井さんは、近鉄のイメージがありますが、PL学園→高校3年生のドラフトで近鉄バファローズにドラフト9位指名も、入団拒否、大学進学し、大学4年時に南海ホークスにドラフト2位で指名され、入団。南海ホークスでプロ野球選手をスタートしました。その後、トレードで近鉄バファローズへ移籍。
大石、新井、ブライアントで始まる打線は、強い近鉄の象徴でした。(10・19のときもこの打順)
40歳で2000本安打を達成し、引退しました。(意外にも、引退は、戦力外通告から引退したそうです。覚えてなかったーーー。)
このサインボールは、新井さんのサインボールだと思っていました。今まで。実は、自分でもらったサインボールではなかったのですが、2000本安打を打った日のゲームを見に行っていて、もらいました。自分でもらったものではないのに、新井さんのサインボールだと思っていたのは、「9」という文字。背番号だけで、新井さんだと踏んでいました。
でもね、「新井宏昌 サインボール」ってGoogle画像検索したら、同じようなの出てくるので、やっと確信しました。あぁ~、よかった。
新井さんの貴重な現役当時の動画をどうぞ。(6:50です。音が出るのでご注意を)
しぶいですよーーー。
ゆるゆるの藤井寺球場
藤井寺球場は、近鉄バファローズの本拠地でした。(今はもうないですけどね)
よく通いました。当時、なんでか通っていた散髪屋のおっちゃんがよくチケットをくれたので、生野区から、天王寺まで出て、あべの橋から近鉄電車に乗って通いました。
ちょうどね、新井さんが2000本安打を打った日、観戦に行ったのですが、ボールを持っていっていたんです。球場横に、選手の駐車場だあって、車で出てくるのを見たりもしていたのですが、駐車場の入り口は警備員さんがいて、もちろん入れません。
でもね、駐車場はブロック塀に囲まれていて、おっさんたちが上って入っていくのが見えたのです。中学生時代のボクも登ろうとしたけど、登れない。
先に入っていったおっさん2人のうち、おっさんAが、「サイン欲しいんか?もらってきたるわっ」と言い、ボールを託しました。ナイター終わり、しばらく待ってたら、ほんまにおっさんAが戻ってきてくれて、このボールを渡してくれたのです。
でね、今思えば、選手の駐車場に塀登って入ることって、ありえへんですね。どこまでゆるいんやろって。
当時、藤井寺球場は、スコアボードは電光掲示板はなく、アナログなスコアボードやったし、トランペットなどの鳴り物での応援は禁止やったし、駐車場にも侵入できるし、、、グラウンドとスタンドの距離も近かったしね。古き良き日のパ・リーグの球場でしたね。懐かしい。
高校生の頃、藤井寺球場で、高校野球の予選(大阪大会)が行われていました。いつかグラウンドに立ちたいとも思っていましたが、それは叶わず、、、でしたが、藤井寺球場は、ゆるゆるの球場だったな、ということです。
新井さんは2000本安打を達成した好打者ということを知らない人がいるかもしれませんが、引退後、コーチとして、オリックス、ソフトバンク、広島などでも指導。イチロー選手を育てたことでも有名です。
ということで、それでは、またー。