近鉄バファローズ回顧録⑦「ドラフト1位入団拒否 福留選手がもし入団していたら」
今日はエクスマ塾のためお休みもらって大阪へ行きます。もっさんです。
寝る前や移動の合間とか、ブログを書くために記憶の奥を探したり、調べたりしていたら、あーーー、こんなことあったなーってことが出てきます。今日はそんなお話の1つ。幻の近鉄戦士のお話です。
史上初の高卒選手の7球団競合の福留孝介選手
引用元:日刊スポーツより
昨日、千葉ロッテの井口選手が引退を表明しました。数少ないダイエー選手ということも紹介され、そういえば、近鉄戦士は今は誰だったかな、と調べてみると、あと3人なんです。
近藤一樹投手(現ヤクルト)
坂口智隆外野手(現ヤクルト)
実は、今日の本題の福留選手(現阪神タイガース)は幻の近鉄戦士が一人です。
ドラフト7球団競合で、入団拒否されちゃった
引用元:毎日新聞
福留選手は、名門PL学園の4番ショートで甲子園出場。ちょうど年齢がボクの1つ上で、同じ大阪だったので、大阪予選の開幕戦でPL学園の試合があり、えげつない打球、ライナーで右中間フェンスに直撃を放ち、すごさを目の当たりにしたのをよく覚えています。もう22年も前の話ですが。。。
記事にも書かれているように、当時、意中の球団の巨人、中日以外は、社会人野球(日本生命)へ、と公言しておりましたが、高校生選手としては史上初の7球団競合、結果、近鉄の佐々木恭介監督が交渉権獲得のくじを引き、佐々木監督の代名詞「よっしゃーーー!!!」は名場面でした。
引用元:毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20160626/ddn/041/050/005000c
福留選手は、3年後のドラフトで中日を逆指名で入団し、活躍。近鉄監督だった佐々木恭介さんもその後、中日ドラゴンズのコーチになり、同じチームになります。コーチと選手として、切磋琢磨し、福留選手の活躍があったそうです。
もし、福留選手が近鉄に入団していたら。。。
ここからは、もっさんのタラレバです。昨日に続き、妄想です。
もし福留選手が高卒で入団していたら、1996年が1年目シーズン。当時4番の石井浩郎選手が近鉄に在籍した最後のシーズンです。もし、2人がそのままいたら、どうなっていたでしょうか。
近鉄最後の優勝が2001年でした。ベテランの域に達していた石井選手、福留選手が高卒6年目として活躍していたと妄想したら、代名詞のいてまえ打線の破壊力は抜群でしたね。
●2001年のスタメン
4番サード 中村紀 5番ライト 磯部 6番ファースト 吉岡
7番DH 川口 8番ショート ギルバード
9番キャッチャー 的山(または古久保)
これが、こうなっていたかも。。。
↓↓↓↓↓
●2001年スタメン(福留、石井入りの、もっさん妄想スタメン)
1番 ショート 福留 2番セカンド 水口 3番レフト ローズ
4番サード 中村紀 5番ファースト 石井 6番ライト 磯部
7番DH 川口 8番キャッチャー 的山(または古久保) 9番センター 大村
1番福留から、破壊力抜群のいてまえ打線。若手中心も、ベテラン石井の勝負強さと、侍石井がチームを締める夢のチーム。そんなチームになっていたかも。見たかったなー。。。
千葉ロッテ 井口選手の引退から、数少ないダイエー選手ということから、幻の近鉄選手だった福留選手のことを思い出しました。あっ、福留選手も大好きな選手のひとり、これからの活躍も楽しみです。
ということで、近鉄バファローズのドラフトの小話でした。それでは、またー。