近鉄バファローズを愛するキャンドル屋 藤本成啓(もっさん)のブログ

大阪市生野区出身/1978年生まれ/男の子3児の父/野球、近鉄バファローズをこよなく愛しました。ビール、ラーメン、あんかけパスタ、移動の車で音楽を聴くのが好き。ジャンルは広いです。カメヤマローソク(カメヤマキャンドルハウス)でウェディング施設、ホテル、旅館、雑貨店、飲食店、レストラン、イベントにキャンドルの営業をやっています。エクスマ塾大阪84期 ニックネーム:もっさん

近鉄バファローズファンのボクが、合併した「オリックス バファローズ」ファンになれなった理由

ブログが久しぶりすぎて、おはようございます。

リハビリがてら、近鉄バファローズブログを更新です。野球を全く知らない、全く興味ない、近鉄バファローズって何???って方は、全くおもしろくないブログですので、読まないでくださいね(笑)

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画像引用元:asahi.com : ニュース特集 - 球団合併問題

2018年は、あの伝説の10・19から、30年。近鉄バファローズが合併で消滅してから14年が経ちました。近鉄バファローズが無くなってからも、プロ野球の日々の記事の中では、時折、近鉄バファローズ関連の記事が出てくると、読まずにはいられないです。ちょうどパ・リーグを制した西武ライオンズの「獅子脅し打線」。10月1日の試合で、2001年近鉄バファローズ以来のシーズン逆転勝ち40試合を超えたそうです。(2001年近鉄バファローズは、41試合の逆転勝ちだったそう!最強です!いてまえ打線最強です!)

headlines.yahoo.co.jp

なんで、オリックスファンにならなかったんですか?

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よく聞かれるのですが、ボクがこんな帽子をよく被っているもんだから、「近鉄バファローズが合併してから、オリックスバファローズのファンにはならなかったんですか?」と何度か聞かれることがあります。

僕なりに、当時の心境と、合併してから14年が経った今、オリックスバファローズファンにならなかった、いや、なれなかった理由を書いてみようと思いました。

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近鉄バファローズ悲劇の三部作

南海ホークスという球団が、昔、大阪にありました。本拠地は、大阪難波の大阪球場。1988年に球団を身売りし、南海からダイエーへ。そしてダイエーから、ソフトバンクへ、親会社が変わりました。現在の福岡ソフトバンクホークスです。兵庫の西宮には、西宮球場を本拠地とする、阪急ブレーブスという球団があり、同じく1988年に球団を身売りをし、阪急ブレーブスから、オリックスブレーブス(後に、オリックスブルーウェーブへ名称変更)になりました。(しかも、阪急の身売りは、あの1988年の10・19に発表するという。。。)

 

ボクが生まれてから知っているのは、球団は身売りいう形で、親会社が変わり、チームが続いていく、という流れ。2004年、近鉄バファローズは、身売りをせずに、オリックスブルーウェーブとの合併を発表しました。(当時、ホリエモンのライブドアが合併が発表された後、身売りで球団を買うと名乗りを上げたにも関わらず、球団合併になってしまいました。)

 

身売りであれば、親会社が変わるだけなので、○○バファローズという名前で球団が続いたことでしょう。そして、近鉄の歴史や、文化、伝統を引き継いだ新球団を応援できたと思います。

2004年、プロ野球再編問題として、当時、大きな話題となりました。(詳しくは、Wikipediaで)

プロ野球再編問題 (2004年) - Wikipedia

球団を合併しても、ファンは合併できない。

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当時の心境がまさに、これ!いきなり、「来年から、近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブは合併をして、オリックスバファローズになります!応援、よろしくお願いします!」と言われても、応援する気にさらさらなれない。近鉄バファローズの優勝が見たくて、いてまえ打線を応援したいけど、今まで敵チームだった、オリックスを、応援できませんでした。オリックスバファローズ優勝を楽しみにできませんでした。いくら、愛称に、バファローズをつけても、僕から見たら、別物。近鉄バファローズらしさはなく、全く違う。今でも、オリックスバファローズの打線を「いてまえ打線」とニュースや記事で見るけど、ボクにとっては、「いてまえ打線」でもなんでもない。「ブルーサンダー打線」と言え!このやろう!といつも思ってしまう。。。

 

1949年から2004年までチームが存続した中で、日本一に1度もなれず、日本一になることを楽しみにしていました。ピッチャーがどんなに打たれても、点を取られても、打って打って打ちまくってという、いてまえ打線の歴史の受け継いだ猛者たちが好きでした。期待したら、見事に裏切られ、期待しないと、逆に裏切られて勝ち続ける、近鉄バファローズが好きでした。エースと契約で揉めて、メジャーに行かれたり、4番バッターと契約が揉めて、電撃トレードに出したり、助っ人外国人が薬物で逮捕されてシーズン途中で解雇したり、、、その代わりで2軍でくすぶっていた新外国人を金銭トレードで獲得したら、ホームランを打ちまくったりと、やることなすこと規格外だった、近鉄バファローズが好きで、そんな伝統と歴史をひっくるめて、大好きだったんです。

 

合併は、オリックス主体となったため、近鉄バファローズは、55年の歴史に幕を下ろすことになりました。在籍していた選手は、合併球団のオリックスと、新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスに、分配ドラフトという形で、振り分けられました。

近鉄バファローズ最後の監督の梨田監督は、近鉄バファローズ最後の試合で、選手に向けて「みんな胸を張ってプレーしろ。お前たちが付けている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」と言ったそうです。

そう、ここで近鉄バファローズは終わったのです。ボクもその気持ちで、合併したオリックスバファローズは、オリックスバファローズだったのです。ファンにはなれなかった。

この居酒屋に行けば、同じ気持ちの同士に会えるはず!奈良市の近鉄富雄駅前にある野球専門酒場「B―CRAZY(ビークレイジー)」。

www.asahi.com

 

近鉄バファローズが、もし、新球団に身売りという形になってたら、僕はそのまま応援できたことでしょう。歴史と伝統を受け継いだ新球団で日本一になってほしい、と願ったことでしょう。

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これで街を歩くとただの不審者。。。(笑)


ただね。あの10・19や、ブライアントの4打席連続ホームラン、東京ドームの屋根に打球直撃や、2001年の優勝、エースと揉めて、メジャーに行かれたり、助っ人が薬物で逮捕されたり、、、そして、球団合併により消滅。。。こんなことが全部好きだったし、そして、合併して消滅した近鉄バファローズファンということで、ボクのことを知ってもらえるようになったりといいこともたくさんあるので、なんだかんだ合併がよかったのかな、と今なら思えます。

ということで、今日は以上です。それでは、また!