近鉄バファローズ回顧録 “ファンから愛された男 山本和範選手”
近鉄バファローズはFAで選手を獲得することが少なくトレードや他球団の自由契約選手が入団することが多く、各時代、そういった選手が活躍をしていました。
ボクの知っている時代で言えば、
淡口、新井、ブライアント、北川、盛田、香田、吉岡、大森、門倉、レイノルズ、湯舟、川尻、西村龍次、三澤興一、チャーリー・マニエルなどなど。
今日は、そんな他球団から近鉄バファローズへやってきた、愛すべき男、山本和範選手(カズ山本)のことです。
苦労人という言葉がぴったりの山本和範選手
画像引用元:Kazu Yamamoto Official Web Site
TOP - kazu-yamamoto29 Jimdoページ
山本和範選手(以下、カズ山本)は、ボクと同じ世代(見えないと思うけど今年39歳です)であれば、南海ホークス(ダイエーホークス)の印象が強いですが、プロ野球は、近鉄バファローズから入団をしました。
1976年ドラフト5位で近鉄バファローズへ入団→6年で解雇→バッティングセンターでアルバイトしながら打ち込む→1983年-1995年 南海ホークス(ダイエーホークス)→1996年~1999年 近鉄バファローズという経歴です。
ホークス時代は強打の選手として主力で活躍、1994年シーズンは、バントをしない2番バッターとして打ちまくり、イチロー選手を首位打者争い(結果、打率2位)の活躍をしました。
苦労人と言われるひとつは、先に書いたように、入団6年で近鉄を解雇されたときに、バッティングセンターでアルバイトしながら、閉店後に打ち込み練習を続けていた、というエピソードは有名な話。
その後、南海ホークスへ入団し、打撃で活躍、元々近鉄へは投手として入団(1年目のキャンプ開始1週間で投手をクビ)したこともあり、強肩であったこともあり、守備でも活躍したのです。
キレイに足を挙げ、バットを振るフォームは、キレイで豪快。ホームランを打ったときのフォームはほんとキレイだったのを覚えています。
ダイエー時代は、怪我と、高額年俸、高齢(38歳)ということがあり、解雇を通告され、古巣、近鉄へ戻ってきました。
2度の自由契約を経て、近鉄バファローズへ戻ってきた、カズ山本は、最後の球団でファンに感動を魅せてくれたのです。
カズ山本の忘れられないホームラン
苦労人カズ山本、近鉄復帰後、打撃で活躍をし、ファン投票でオールスターに選出をされました。オールスターは福岡ドームで開催されたのですが、前年まで在籍したホークスの本拠地、代打で出場したカズ山本は決勝ホームランを放ち、MVPを受賞しました。
このホームランは、ボクにとって、カズ山本といえば、このホームランが思い出され、MVPのインタビューで言った「まぐれでしょう」というフレーズと涙した姿は忘れられないシーンなんです。
1999年に引退をするのですが、1軍昇格することなく、戦力外が決まっていたため、最後の福岡ドームでのホークス戦で1軍昇格し、9月30日が事実上の引退試合となりました。
ホークスファンからも、南海時代の応援歌が流れる中、最終打席で、決勝ホームランを放ちました。ホークスの優勝セレモニーでありながらも、そのセレモニー前に、ファンから呼ばれる形で、グラウンドを1周(近鉄バファローズ在籍選手でありながら、前所属球団とは言え、異例だと思います)しました。
こういった場面からも、ファンから愛された選手だったと感じ取っています。
そういった、苦労人カズ山本の動画を見つけたので、よろしければどうぞ。(最終打席のホームランも入っています)
調べていたら、プロ初安打も、ホームラン。現役最終打席で最後の安打もホームラン。
ホームランで始まりホームランで終わったカズ山本は、苦労人へ野球の神様からのプレゼントだったのかもしれません。
2020年4月21日 スポルティーバさんで、カズ山本さんの記事がアップされました。
実は、ぼくの家には、木製の硬式バットがあります。今でも素振りで使ったりします。
大学生時代に、バットを折ってばかりで困っていたのを、おじに言ったら極秘ルートで、大量の木製バットをもらいました。その中にあったバットで、最後まで折れずに残った1本がこのバットです。
グリップエンドに書かれた“H29”は、これは、チームのイニシャルと背番号を意味するのですが、ホークスの29番という意味なんですね。
ホークスの29といえば、カズ山本。記事を書きながら、バットのことも思い出しました。
ということで、それでは、またーーー。
今日の記事も動画を観すぎて、3時間かかりました。あほですわ。