近鉄バファローズ回顧録⑥“野茂投手と同期入団の選手 石井浩郎選手 ”
近鉄バファローズの代表する4番バッターの1人、石井浩郎選手。近鉄バファローズ時代は知らなくても、全国的に有名になったのは、巨人に移籍してからの日本テレビの日曜日朝の番組内のミニコーナー「拝啓 石井浩郎です」ではないでしょうか。
石井選手は、1989年のドラフト3位で近鉄バファローズへ入団しました。
そのときの1位指名は、先日ブログに書きました、野茂英雄投手。結果的に、近鉄バファローズは、その年に、エースと4番をドラフトで獲得した素晴らしい年だったんです。
どうも、もっさんです。ということで、今日の近鉄バファローズ回顧録は、石井浩郎選手です。
近鉄バファローズは、こんなチーム
近鉄バファローズというチームは、「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまい、「ダメだ」「無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームです。
チャンスに強い4番バッター 石井浩郎選手
ボクの当時の記憶だと石井選手の入団は地味だった記憶があります。ドラフト1位で野茂投手が入ってきたから。1年目の7月に新人ながら月間MVPを受賞するのですが、確かそれは、新人の月間ホームラン記録になるぐらい、ホームランを打ったからだと思います。懐かしいなー。間違ってたらごめんなさい。
1年目から22本のホームランを放ち、以降5年間、近鉄の4番として活躍しました。ボクは少年ながら、そのチャンスに強い4番というイメージがあり、ホームランは、一緒にクリーンナップと張る、ブライアントやトレーバー、リードなど助っ人選手が放ち、チャンスで必ずランナーをホームへ迎えるのが、石井選手らしさだったと記憶しています。
侍と呼ばれた石井選手らしい独特のフォーム、フォロースルーが特に独特で、こうやって打ちたかったですが、マネできませんでした。バックスクリーンへ放り込む、石井選手のバッティングが一番好きだったなーーー。
共感する人いてるかわかりませんが、動画みつけましたので、どうぞ!
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エース野茂投手に続き、巨人へ移籍してしまう4番バッター
揉めて、大リーグ移籍した野茂投手に続き、四番の石井選手が1996年オフ、巨人へトレードになってしまいます。またまた契約で揉めてしまいます。(前年の怪我で2試合しか出れず、契約更改で揉める)近鉄を振り返るとこんなことばっかり。大好きな石井選手が巨人に移籍してしまいます。(ただ、石井選手が好きだったので、 当時巨人戦はテレビでたくさんやっていたので、個人を観る意味ではよかったけど)
近鉄はこうやって主力と揉めて放出してしまうのですが、ほんとファンとしては、なんでやねん。な心境であります。
巨人へ移籍した1997年は、四番バッターばかり集める巨人と揶揄され始めた頃だと思います。FAで清原を獲得し、その2年前には、広沢(ヤクルトの4番)や、ハウエル(ヤクルトの5番)がいたりと、そこに、石井選手が加わりました。怪我で出遅れたこともあり、スタメンは6月からでしたが、主にこの頃から、代打がメインになっていきました。
石井選手は、4球団を渡り歩いた選手。それぞれの球団でファンに愛される男でした。引退試合もよく覚えています。在籍したことがある巨人ファンからも熱く温かく送り出された愛される選手。
動画を観ると、泣けてきてしまいます。
怪我に泣かされた石井選手。もし怪我がなければ、石井と中村紀と黄金のクリーンナップが近鉄で組まれていたんじゃないかな、あくまでも妄想ですが、近鉄ファンとしては、観たかったクリーンナップでしたね。
今、参議院議員で活躍されているようですが、またプロ野球会に戻ってきて、侍を育ててほしいな、と思います。
そんな石井選手、ほんと大好きすぎて、記憶にずーーーーとあったんじゃないかな。ボクは大学時代、そんな石井選手に憧れてリストバンドは赤にしてました。
ということで締めたいと思います。
それでは、また。