近鉄バファローズを愛するキャンドル屋 藤本成啓(もっさん)のブログ

大阪市生野区出身/1978年生まれ/男の子3児の父/野球、近鉄バファローズをこよなく愛しました。ビール、ラーメン、あんかけパスタ、移動の車で音楽を聴くのが好き。ジャンルは広いです。カメヤマローソク(カメヤマキャンドルハウス)でウェディング施設、ホテル、旅館、雑貨店、飲食店、レストラン、イベントにキャンドルの営業をやっています。エクスマ塾大阪84期 ニックネーム:もっさん

近鉄バファローズ回顧録④“10・19の翌年1989年の優勝と日本シリーズ”

先週から書き始めた近鉄バファローズ回顧録、まだまだ書きたいことがありすぎて、また書きます。書き始めたことで、“ボクも近鉄バファローズファンでした”という方に出会うことができて幸せです、もっさんです。

 

今日と明日、お休みもらって、滋賀雄琴温泉へエクスマ塾に通います。何か緊急の連絡があれば事務所へ連絡をお願いします。

 

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近鉄バファローズというチーム

近鉄バファローズというチームは、「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまい、「ダメだ」「今年は無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームです。

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こちらの本は、近鉄バファローズ元応援団長の佐野さんが書かれたボクの愛読書ですが、そこに書かれていて、初めて読んだときに、「その通り」と膝を叩いて納得したのをよく覚えています。

 

1989年シーズンの状況

1989年シーズンは前年の熱パの状況が再現され、最後の最後まで優勝がもつれました。

簡単におさらいすると以下のような状況でした。

  • オリックスブレーブスが開幕ダッシュに成功し、6月末時点で2位近鉄に最大8.5ゲーム差をつけていた。
  • 7月以降、近鉄が猛追、8月に首位に立ち、一時は2位にゲーム差をつけた
  • 8月、9月で西武が猛追、9月には一時的に首位に立ち、西武、近鉄オリックスの三つ巴で10月を迎える。9月29日時点で、首位から3位まで3.5ゲーム差の混戦。

混戦は、10月も続き、10月11日が雨のため試合が中止、予定されていた、西武-近鉄戦、オリックス-ロッテ戦は翌日の同カードにダブルヘッダーが急遽組まれました。そのダブルヘッダーで、西武が連勝し、オリックスが1引き分け、または、西武が1勝1分け、オリックスが1敗または2引き分けで西武の優勝が決まるという状況でした。

はい、ここ近鉄からんでなく、西武の有利の状況で西武-近鉄戦のダブルヘッダーが10月12日を迎えます。先に書いたように、「ダメだ」「今年は無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームは、奇跡を起こすのです。

 

近鉄ファンの語り草 “奇跡の4連発”

そんな1989年の優勝の可能性が限りなく厳しい状況で、この男の奇跡の4連発で優勝へ爆走することになりました。この男無しで優勝はなかったことでしょう。もっさん的超絶ポイントと書こうと思いましたが、ここは近鉄ファン共通認識だと思います。そんな奇跡の4連発をどうぞ!

 

 

 

この可能性が限りなく小さいゲームでブライアントの奇跡の4連発で、一気に優勝が見えました。こういう伝説と言われたり奇跡のホームランと言われるもので、阪神タイガースの1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発もありますが、ボクとしては、このブライアントの奇跡の4連発を、1番の伝説のホームランだと推しています。なんせ優勝争いの中でのホームラン、優勝を手繰り寄せるホームランなのでね。(阪神の3連発は、シーズン序盤だったという意味で)

 

悲願のパリーグ制覇

西武のダブルヘッダーで奇跡の勝利をした近鉄は、首位に立ち、マジック2が点灯、ゲーム差無しで2位、オリックス、1ゲーム差で3位西武という順位になります。 

翌日、オリックスがロッテに敗戦し近鉄がマジック1になり、藤井寺球場でのダイエー戦を迎えます。優勝まであと1勝として。

優勝へ向けて最後のイニングとなる9回、前年、迎えることのなかった優勝へ向けて最後の守備、ここから洗練されたファンタスティックプレーが続きます。ライト鈴木選手、セカンド大石選手、前年の悔しさを知っている選手が、優勝に向けて最高の守備を見せてくれます。(動画5:30からです。)

そして、前年言うことがなかった、「あと1人コール」「あと1球コール」の中、エース阿波野投手が全球ストレートで三振にとって優勝を決めました。(動画13:50~)優勝の瞬間絶対見てね~。

って、自分ブログ書きながら動画も見てたら、前年の10・19のことがあったので、泣きそうになってしまいました。ちょうどこの優勝の瞬間は、小学5年生でテレビで観ていて、試合内容は覚えていなかったけど、この阿波野投手が投げて、三振で優勝する、相手はダイエーホークスで、ガッチャマンヘルメットって、今でも覚えていました。それほど少年時代のボクに強烈な印象を与えてくれたんでしょうね。

動画を観たら気づくのですが、胴上げに観客がなだれこんでいます。昔のプロ野球のいい時代やったなーーーって思いふけっています。

 

で、優勝の瞬間を待つ近鉄ベンチの面々を観てると、なんかかわいいなー、子供みたいにワクワク優勝の瞬間を楽しみにしてるなーって感じてしまいましたが、ボクだけでしょうか?

 

 

 

 

 

 

もっさん的超絶ポイント“日本シリーズ3連勝で。。。”

悲願の優勝を達成し、日本シリーズへ進出する、近鉄バファローズ。対戦相手は巨人。ペナントレースを優勝した勢いのまま、第1戦から3連勝。これは日本シリーズいける、日本一いける!となりました。当時、ボクは近鉄ファンであり巨人ファン。ただこの日本シリーズ近鉄バファローズを応援していました。理由は、過去近鉄バファローズの歴史に日本一がなかったからです。初の日本一に向けて、3連勝でいける!となります。

でもね、ちょっと待ってください。最初に書きました。近鉄バファローズというチームは「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまうということを。かの有名なあの事件「巨人はロッテより弱い発言」があったことで、そこから4連敗。日本一を達成することはできませんでした。。。。

 

ここでボクの超絶ポイントは、この日本シリーズで、近鉄ではなく、巨人のことなんです。巨人ファンであったボクは、中畑清の大ファンでした。原、クロマティ、篠塚、桑田、槙原、齋藤より、中畑清。この1989年で引退が決まっておりました。中畑清は、日本シリーズ第7戦でホームランを打ち、巨人は日本一になりました。現役最終戦で日本一を決めるゲームでホームランを放つ中畑清近鉄バファローズ回顧録ではあるけど、超絶ポイントとしてオススメしたいです。

動画5:50から観てください。男やで!中畑清!で、注目がもう1つあって、ホームランを打った後、バットを投げるのが特徴的なんです。後の近鉄に入団し4番バッターに成長する中村紀洋(通称ノリ)は、中畑清のバット投げに魅了され、自身も取り入れたらしいです。

 

 

 

ということで、近鉄バファローズの初の日本一は持ち越しとなるのですが、挑戦できるのは少し先となります。

以後、西武と近鉄での優勝争いが続く中で欠かせない男が翌年入団するのですが、この話はまた改めて。

それでは、またーーー。