近鉄バファローズを愛するキャンドル屋 藤本成啓(もっさん)のブログ

大阪市生野区出身/1978年生まれ/男の子3児の父/野球、近鉄バファローズをこよなく愛しました。ビール、ラーメン、あんかけパスタ、移動の車で音楽を聴くのが好き。ジャンルは広いです。カメヤマローソク(カメヤマキャンドルハウス)でウェディング施設、ホテル、旅館、雑貨店、飲食店、レストラン、イベントにキャンドルの営業をやっています。エクスマ塾大阪84期 ニックネーム:もっさん

近鉄バファローズ回顧録②“伝説のダブルヘッダー10・19 第一試合”

子供の頃から近鉄バファローズのファンだった、もっさんです。

 

昨日から書き始めた「近鉄バファローズ回顧録」、今日は、伝説のダブルヘッダーとして知られる1988年の“10・19”のことを、もっさんポイントで書きたいと思います。

詳しいことは、ネットで検索すれば、細かく書かれているものがヒットします。近鉄バファローズファンの、もっさん視点で拾い上げていきたいと思います。

昨日の記事はこちらです。

shigefujimo.hatenablog.com

 

もっさんの参考資料的文庫本

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当時小学4年生だったボクにとって、10・19という伝説の試合は、テレビで生観戦をしたこともあり、記憶には残っていたけど、詳細に当時の状況を覚えているわけではせんでした。しかし、当時のことを、鮮明に記したこの本に出会ったことで、振り返り記憶と事実とつなぎ合わせることができました。新婚旅行でペルーに行ったのですが、ペルーの空港(リマやったかな?)までは、関空から24時間かかる、とのこと。飛行機内の時間潰しの準備を何もしていなかったのですが、関空の本屋さん的なところで、この本に出会うことができました。

つまり、10・19のことを振り返ることができるこの本に出会えたことは、ペルーを新婚旅行先に選んだカミさんには、頭があがりません(笑)

近鉄バファローズの優勝争い

馬鹿にされた近鉄帽が、誇れる近鉄帽になるときがきたのが1988年です。当時小学4年生の、もっさん少年。当時の状況ははっきりと覚えているわけではありませんが、最終戦で伝説の試合が繰り広げられました。

当時の状況を簡単に整理すると、以下の状況です。

  • 首位 西武とは6月の段階で、最大8ゲーム差があった。
  • 9月15日の段階で、首位 西武と6ゲーム差があった。(通常、この状況だとほぼ逆転優勝は厳しい)
  • その後ゲーム差が少なくなり、10月4日 2位 近鉄にマジック14が点灯。
  • 当時、ドーム球場が東京ドームのみ、雨天中止等々の影響で、近鉄は、10月7日~19日の13日間で15連戦、西武は、7日~16日で10連戦を戦う。(10月22日から日本シリーズがあるため、強行スケジュールになった)
  • 西武は16日で全日程が終了。
  • 近鉄はその後、勝ちと負けを繰り返し、優勝するためには、10月18日終了時点で、10月19日のロッテとのダブルヘッダーに連勝すること、が条件となる。
  • 当時のダブルヘッダーのルールは、①第一試合は、9回で打ち切り、延長戦無し。つまり、同点だと、引き分けになる。②第二試合は、延長12回まで。ただし、試合開始から4時間を経過したら、新しいイニングに入らない。

 

近鉄ファンにとっては、「なんでやねん」な、リチャード・デービスの退団と、伝説の男の入団と。

当時、近鉄の助っ人選手として、主力を張っていたのが、デービスとオグリビー。1番大石、2番新井、3番オグリビー、4番デービス。オグリビーはバットをクルクル回して構えることで、同世代の男子はよくマネしていたね。デービスは、背番号15の長身の右打者。強打者だっと記憶します。そんなデービスですが、「なんでやねん」な事件を起こします。大麻不法所持で逮捕。電撃退団となってしまいます。4番バッターの退団です。おいおい、ホンマかいな。小学4年生でも、このことはよく覚えています。

 

運命とは不思議なもので、この結果、助っ人補強を調査する近鉄は、中日の2軍でくすぶっていた、ラルフ・ブライアントを金銭トレードで獲得することができました。当時、外国人選手は、1軍登録できるのは2人まで。中日には郭源治とゲーリーが1軍で活躍しており、ブライアントの出番はなく、2軍でくすぶっていました。

6月末に入団したのですが、74試合の出場で、34本塁打を記録する、猛打をふるいました。(当時は、年間130試合なので、130試合換算にすると、59本塁打、、、すごいよ。1988年のパのホームラン王は、門田選手で44本塁打、セのホームラン王は、ポンセで、33本塁打です)

このデービスの退団があったことで、ブライアントが加入し、終盤の猛烈な追い上げの要因になったということだと思います。ブライアントは、三振かホームランかの選手でしたが、ほんとよく、気持ちのいいホームランをかっ飛ばしてくれました。東京ドームで初めて、天井に打球を当て、認定ホームラン第1号になったのは有名な話です(のはずです。。。)

 

第一試合の経過状況

近鉄にとっては、優勝するためには、2連勝しかない状況。ルール上、第一試合は、9回までなので、引き分けも許されず、必勝の第一試合でした。

スタメンは、懐かしの選手が並びます。

1番(二)大石、2番(一)新井、3番(右)ブライアント、

4番(D)オグリビー、5番(左)淡口、6番(中)鈴木、

7番(三)吹石、8番(捕)山下、9番(遊)真喜志、投手 小野、

いやー懐かしい顔ぶれです。ファースト新井って、新鮮っす。センターのイメージがったので、新井のファーストは新鮮です。

  • 初回に、ロッテ愛甲の2ランホームランで先制。
  • 5回に、近鉄鈴木のホームランで1点を返す。
  • 7回に、ロッテが1点追加、8回に近鉄村上の2塁打で2点入れて同点。
  • その後、チャンスをつぶしながら、9回を迎えます。

 

第一試合のもっさん的超絶ポイント 9回表 代打梨田

10・19を語る上で、ここはぜひ紹介したいポイントなのが、代打 梨田です。梨田さんは、引退後、近鉄日本ハムの監督につき、現在、東北楽天イーグルスの監督です。梨田さんは、現役当時、強肩の捕手でしたが、打つほうでは、「こんにゃく打法」という独特のフォームを誇っておりました。(よくマネしたなー)

なぜ、ポイントとしたのかは、梨田選手は、この1988年を持って引退することが決まっておりました。つまり、最後の最後の大舞台での代打だったんです。代打の前の状況は、9回表同点、1アウト2塁で鈴木選手のヒットで、勝ち越しが見えて盛り上がる球場、ホームを目指した2塁ランナーの佐藤選手がアウトになってしまい、もうダメだという状況での代打梨田選手でした。現役最後の日の1番切羽詰まった状況、2アウト2塁、点が入れば優勝の望みが繋がり、アウトになれば、優勝ができない状況での代打でした。

結果、梨田選手のヒットで、2塁ランナー鈴木選手がホームに帰り、勝ち越し、そのまま抑えれば、優勝への望みが繋がりました。

鈴木選手がホームに帰り、中西ヘッドコーチと抱き合うシーンは名場面の1つですが、ボクは、梨田選手のヒット、2塁ベース上でのガッツポーズ、そして実況の安部さんの「梨田、君は男だ!」の声、これは記憶にすごく残っていて、もっさん的超絶ポイントとしてオススメしたいです。(なぜか下の動画では、安部さんのそのコメントがありませんでしたけど)

以下の動画の2:50ぐらいから見れますので、ぜひ!

 

 

結果、勝ち越した近鉄は、9回裏、ロッテの攻撃で2アウト満塁とピンチの状況になりますが、エース阿波野が抑え、勝利し、優勝の行方は、第二試合へ繋がりました。(阿波野投手は、2日前に9回完投していました)

 

第一試合を無事勝利した近鉄バファローズは、優勝の望みを第二試合へつなぎます。この状況であれば、いけるぞ!という雰囲気、普段、人気のないカード 近鉄-ロッテ戦は、日本の注目を浴び、第二試合へと続きます。

 

ということで、第二試合は、次に続きます。

それでは、またー。