近鉄バファローズ回顧録①“馬鹿にされた近鉄バファローズ帽”
父親に初めて買ってもらった野球帽は、近鉄バファローズの野球帽でした、もっさんです。
この帽子です↓
今回、このブログを書くにあたり、写真を探してみたら、この写真が唯一の近鉄帽を着用した若き日の写真でした。たぶん背景から推測すると、4年生(1988年10歳の頃)かなと思います。
近鉄バファローズというのは、2004年まで実在していたプロ野球球団で、2004年を持って、当時のオリックスブルウェーブと合併し、近鉄バファローズという球団は消滅しました。しかし、ボクの知っているだけでも、他の球団でないような記憶に残る試合をしたり、珍事件を起こしたりと、今でも、ボクの記憶の中で生き続けているプロ野球チームであります。
近鉄バファローズのファンになったきっかけ
子供の頃、父親の影響で野球が好きになりました。父親は根っからの巨人ファン、ミスター(長嶋茂雄さん)の現役時代を知っているので、根っからのミスターファン。大阪出身やのに巨人ファンでアンチ阪神。そんな父親の影響(教えか?)で、子供の頃は巨人ファンであり、近鉄ファンでした。
セ・リーグは巨人、パ・リーグは近鉄ファンという教えの元、育ちました。なぜそんな教えになったのか、全く覚えてないけど、当時、大阪には、近鉄バファローズと南海ホークスがあって、お隣の兵庫県には、阪神タイガースと阪急ブレーブスがありました。当時のパ・リーグは観客が少ないので簡単に見に行けるということで、万年Bクラスの南海ホークスより近鉄バファローズということだったんじゃないかなーって推測しています。
しかし巨人ファンというのに、巨人の試合を観戦したのは1度だけ、小学1年生のときに甲子園へ阪神戦を連れていってもらいました。試合の内容は全く覚えていないけど、帰りの阪神電車で人が多すぎて、父親に電車内へ無理やり手を引っ張ってもらって乗車できた記憶だけあります。
Wikipediaより引用
懐かしの藤井寺球場。藤井寺球場は、鳴り物の応援が禁止されていて、もっぱら応援はメガホンを叩くか手拍子するか、声かでした。アナログー!!!
そんな藤本家の野球観戦は、もっぱらパ・リーグ。今はもうないけど、藤井寺球場に日生球場、大阪球場と、大阪でプロ野球の試合ができる球場に3つもあったし、当時のパ・リーグは、今ほど観客がいなくて空いているので、快適だったと記憶します。(7回以降は、タダで入場できるシステムもあったので、ほんとよく連れていってもらったなーー。)
ナイター観戦の日は、母親が弁当作ってくれてね、空はまだ明るいけど、ナイター照明で照らされたグラウンド、風は心地よい涼しい夕方という雰囲気の中で、お弁当食べてね。昔の球場なので、グラウンドとスタンドの距離が近くてね、選手がキャッチボールで使ったボールをスタンドに投げてくれたりしてたな。そんな古き良き日のパ・リーグでした。
初めの野球帽
上にも書きましたが、小学1年生初めて買ってもらった野球帽は、近鉄バファローズの野球帽でした。大阪に住んでいましたので、当時、周りは阪神ファンか巨人ファンのどちらかだったと記憶します。近鉄帽を被った藤本少年の記憶、それは、馬鹿にされた記憶です。今でも覚えてるもんなー、よっぽど嫌だったんでしょうね~。夏休みの小学校のプール開放にいった日の更衣室で、すごく馬鹿にされた記憶があります(笑)
小学1年生のときは、1985年でした。1985年は阪神タイガースが、21年ぶりの日本一になる年で、伝説のバックスクリーン3連発(3番 バース、四番 掛布、五番 岡田のバックスクリーンへの3連続ホームラン)があった年でして、巨人も強いですから、どちらも強いチームのファンから、馬鹿にされるわけですよ。。。。ああ、懐かしい。
幻の近鉄バファローズ帽の豆知識
この帽子を探がそうと思ったけど、実家にあったときに、捨てた記憶があって、、、、なんという失態を。。。この3色帽ですが、あの太陽の塔をデザインした「岡本太郎」さんがデザインしたんですよ、知ってましたか?知らないですよね。
万博記念公園HPより引用
この帽子は、野茂英雄投手が近鉄在籍中まで続いていました。確か、大阪ドームへの移転を機に、帽子のデザインも変更になりました。ただボクにとっては、この3色帽の帽子は、忘れもしない子供の頃の熱狂した近鉄バファローズの帽子として忘れることはないでしょう。
エクスマ塾でお世話になったサポート講師のマックス(壁下さん。*壁下さんも近鉄ファン)から「近鉄帽被りたいねー」ヤフオクで入札をしてみたら、落とせなかったっす。幻の近鉄帽、落札できませんでしたっす。またチャレンジしたいですが、どなたか、近鉄帽譲ってくれる心優しい人いませんかーーー???
馬鹿にされた近鉄帽が誇れる帽子になるとき
そんな馬鹿にされた近鉄帽、巨人の帽子がほしい、と親に頼んでも買ってくれるわけでもなく、変わらずパ・リーグの試合を生観戦に連れていってくれるんですが、そんな近鉄バファローズが後に、心に残るチームになるとは思いもしませんでした。忘れもしません。1988年。当時小学四年生でした。そう、この1988年の近鉄バファローズは、球史に残る名試合と言われる、伝説の10・19の年です。
実は、今日のブログでは、この10・19のことを書こうと思っていましたが、前フリが長すぎました(笑)続きは、また明日に書きます。
それでは、またーーー。