近鉄バファローズを愛するキャンドル屋 藤本成啓(もっさん)のブログ

大阪市生野区出身/1978年生まれ/男の子3児の父/野球、近鉄バファローズをこよなく愛しました。ビール、ラーメン、あんかけパスタ、移動の車で音楽を聴くのが好き。ジャンルは広いです。カメヤマローソク(カメヤマキャンドルハウス)でウェディング施設、ホテル、旅館、雑貨店、飲食店、レストラン、イベントにキャンドルの営業をやっています。エクスマ塾大阪84期 ニックネーム:もっさん

近鉄バファローズ回顧録⑧「サインボールから回想された、ゆるゆるの藤井寺球場」

新井宏昌さんのサインボールから思い出したんですが、藤井寺球場って、ゆるゆるでした。

 

家にある新井宏昌さんのサインボール

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絶対に捨てることなく、大事に持っているサインボールがあります。近鉄バファローズを代表する選手の1人、好打者 新井宏昌さん。通算2000本安打を達成した巧打の打者です。新井さんは、近鉄のイメージがありますが、PL学園→高校3年生のドラフトで近鉄バファローズにドラフト9位指名も、入団拒否、大学進学し、大学4年時に南海ホークスにドラフト2位で指名され、入団。南海ホークスプロ野球選手をスタートしました。その後、トレードで近鉄バファローズへ移籍。

大石、新井、ブライアントで始まる打線は、強い近鉄の象徴でした。(10・19のときもこの打順)

40歳で2000本安打を達成し、引退しました。(意外にも、引退は、戦力外通告から引退したそうです。覚えてなかったーーー。)

このサインボールは、新井さんのサインボールだと思っていました。今まで。実は、自分でもらったサインボールではなかったのですが、2000本安打を打った日のゲームを見に行っていて、もらいました。自分でもらったものではないのに、新井さんのサインボールだと思っていたのは、「9」という文字。背番号だけで、新井さんだと踏んでいました。

 

でもね、「新井宏昌 サインボール」ってGoogle画像検索したら、同じようなの出てくるので、やっと確信しました。あぁ~、よかった。

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新井さんの貴重な現役当時の動画をどうぞ。(6:50です。音が出るのでご注意を)

しぶいですよーーー。

 

 

ゆるゆるの藤井寺球場

藤井寺球場は、近鉄バファローズの本拠地でした。(今はもうないですけどね)

よく通いました。当時、なんでか通っていた散髪屋のおっちゃんがよくチケットをくれたので、生野区から、天王寺まで出て、あべの橋から近鉄電車に乗って通いました。

ちょうどね、新井さんが2000本安打を打った日、観戦に行ったのですが、ボールを持っていっていたんです。球場横に、選手の駐車場だあって、車で出てくるのを見たりもしていたのですが、駐車場の入り口は警備員さんがいて、もちろん入れません。

でもね、駐車場はブロック塀に囲まれていて、おっさんたちが上って入っていくのが見えたのです。中学生時代のボクも登ろうとしたけど、登れない。

先に入っていったおっさん2人のうち、おっさんAが、「サイン欲しいんか?もらってきたるわっ」と言い、ボールを託しました。ナイター終わり、しばらく待ってたら、ほんまにおっさんAが戻ってきてくれて、このボールを渡してくれたのです。

でね、今思えば、選手の駐車場に塀登って入ることって、ありえへんですね。どこまでゆるいんやろって。

当時、藤井寺球場は、スコアボードは電光掲示板はなく、アナログなスコアボードやったし、トランペットなどの鳴り物での応援は禁止やったし、駐車場にも侵入できるし、、、グラウンドとスタンドの距離も近かったしね。古き良き日のパ・リーグの球場でしたね。懐かしい。

 

高校生の頃、藤井寺球場で、高校野球の予選(大阪大会)が行われていました。いつかグラウンドに立ちたいとも思っていましたが、それは叶わず、、、でしたが、藤井寺球場は、ゆるゆるの球場だったな、ということです。

 

新井さんは2000本安打を達成した好打者ということを知らない人がいるかもしれませんが、引退後、コーチとして、オリックスソフトバンク、広島などでも指導。イチロー選手を育てたことでも有名です。

ということで、それでは、またー。

 

 

近鉄バファローズ回顧録⑦「ドラフト1位入団拒否 福留選手がもし入団していたら」

今日はエクスマ塾のためお休みもらって大阪へ行きます。もっさんです。

 

寝る前や移動の合間とか、ブログを書くために記憶の奥を探したり、調べたりしていたら、あーーー、こんなことあったなーってことが出てきます。今日はそんなお話の1つ。幻の近鉄戦士のお話です。

 

史上初の高卒選手の7球団競合の福留孝介選手 

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引用元:日刊スポーツより

www.nikkansports.com

 

昨日、千葉ロッテの井口選手が引退を表明しました。数少ないダイエー選手ということも紹介され、そういえば、近鉄戦士は今は誰だったかな、と調べてみると、あと3人なんです。

岩隈久志投手(現マリナーズ

近藤一樹投手(現ヤクルト)

坂口智隆外野手(現ヤクルト)

実は、今日の本題の福留選手(現阪神タイガース)は幻の近鉄戦士が一人です。

 

ドラフト7球団競合で、入団拒否されちゃった

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引用元:毎日新聞

写真特集:福留孝介の軌跡 - 毎日新聞

 

福留選手は、名門PL学園の4番ショートで甲子園出場。ちょうど年齢がボクの1つ上で、同じ大阪だったので、大阪予選の開幕戦でPL学園の試合があり、えげつない打球、ライナーで右中間フェンスに直撃を放ち、すごさを目の当たりにしたのをよく覚えています。もう22年も前の話ですが。。。

 

記事にも書かれているように、当時、意中の球団の巨人、中日以外は、社会人野球(日本生命)へ、と公言しておりましたが、高校生選手としては史上初の7球団競合、結果、近鉄佐々木恭介監督が交渉権獲得のくじを引き、佐々木監督の代名詞「よっしゃーーー!!!」は名場面でした。

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引用元:毎日新聞

https://mainichi.jp/articles/20160626/ddn/041/050/005000c

 

福留選手は、3年後のドラフトで中日を逆指名で入団し、活躍。近鉄監督だった佐々木恭介さんもその後、中日ドラゴンズのコーチになり、同じチームになります。コーチと選手として、切磋琢磨し、福留選手の活躍があったそうです。

 

もし、福留選手が近鉄に入団していたら。。。

ここからは、もっさんのタラレバです。昨日に続き、妄想です。

もし福留選手が高卒で入団していたら、1996年が1年目シーズン。当時4番の石井浩郎選手が近鉄に在籍した最後のシーズンです。もし、2人がそのままいたら、どうなっていたでしょうか。

近鉄最後の優勝が2001年でした。ベテランの域に達していた石井選手、福留選手が高卒6年目として活躍していたと妄想したら、代名詞のいてまえ打線の破壊力は抜群でしたね。

●2001年のスタメン

1番センター 大村 2番セカンド 水口 3番レフト ローズ 

4番サード 中村紀 5番ライト 磯部 6番ファースト 吉岡 

7番DH 川口 8番ショート ギルバード 

9番キャッチャー 的山(または古久保)

これが、こうなっていたかも。。。

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●2001年スタメン(福留、石井入りの、もっさん妄想スタメン)

1番 ショート 福留 2番セカンド 水口 3番レフト ローズ 

4番サード 中村紀 5番ファースト 石井 6番ライト 磯部 

7番DH 川口 8番キャッチャー 的山(または古久保) 9番センター 大村

1番福留から、破壊力抜群のいてまえ打線。若手中心も、ベテラン石井の勝負強さと、侍石井がチームを締める夢のチーム。そんなチームになっていたかも。見たかったなー。。。

 

千葉ロッテ 井口選手の引退から、数少ないダイエー選手ということから、幻の近鉄選手だった福留選手のことを思い出しました。あっ、福留選手も大好きな選手のひとり、これからの活躍も楽しみです。

 

ということで、近鉄バファローズのドラフトの小話でした。それでは、またー。

 

 

 

もし、1988年 近鉄バファローズの、あの10・19のときに、Twitterがあったら・・・

今日の記事は、あくまでもボクの妄想です。もっさんです。今日はただただ妄想記事ですし、ツッコミどころあっても、そのまま胸に閉まっておいてもらえると助かります(笑)

 

もしTwitterが、1988年にあったら、あの10・19はどうなったか

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ほんと、ただの妄想記事です。サッカーのワールドカップ予選のときなんか、試合の経過を見ながらツイートして盛り上がっているのをよく見ます。もしこれが、あの10・19のときにあったら、盛り上がるポイントあったやろうなあって思うんです。

あっ、10・19って何という人がほぼ大半なので、こちらを合わせてご覧くださいね。

shigefujimo.hatenablog.com

 

shigefujimo.hatenablog.com

 

今振り返ると、名場面、盛り上がる場面、一喜一憂する場面が多数あり、僕が上の記事で書いた部分も、盛り上がる部分だと思うんです。

1988年は昭和63年です。伝説の試合と言われる10・19のときに、もしTwitterがあったら、どんな盛り上がりになってたんやろか。考えただけでワクワクします。

 

数々の名場面があって、盛り上がりポイントがあるのですが、今までの記事で書いていないところを中心に書いてみたいと思いました。お時間あればお付き合いください。

 

阪急球団の身売り

実は、この10・19には、もう1つプロ野球界を賑わした話題がありました。名門阪急ブレーブスオリックスへの身売りが発表された日でした。パ・リーグの優勝が決まる日、空気を読まず、身売りの発表がありました。この年、これまた名門、南海ホークスダイエーへ身売りが発表されていたのですが、阪急ブレーブスがこの日に発表されました。

阪急身売り!!!パ・リーグの優勝が西武なのか近鉄なのかが決まる日に関係ない、半球の身売りでTwitterは騒然!トレンド入りしていまうことでしょう。

 

9分間の抗議

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9回裏ロッテの攻撃、2塁への牽制球でアウトの判定、ただし、このプレーは、大石選手が2塁ランナーを押し出すようになってしまい、走塁妨害ではないかとロッテ有藤監督が抗議。第2試合は、試合開始後4時間を経過して新しいイニングに入らないというルールがあり、引き分けが許されない近鉄バファローズは、10回の攻撃に入りたい、抗議の時間も無駄にできない、という状況。この時点で3時間30分を経過していた状況での抗議。

これは荒れただろうなーーー。9分間の抗議で、Twitterで一気にトレンド入りしただろうなーーー。

でもね、これ、監督としては当然の行為かもしれません。2塁ランナーも走塁妨害を主張しているのに、監督が抗議しない、選手を守らないといけないとも思うので、微妙なところ。ただ近鉄バファローズファンは「抗議やめろー」のツイートの嵐だったんじゃないかな。

 

テレビ中継

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大阪は第1試合から放送されていたようですが、関東は放送されていなかった。テレビ朝日では「放送してくれ!」との電話が殺到し、第2試合の途中から21時から全国放送、21時からの「さすらい刑事」を15分繰り下げのつもりが30分繰り下げとなり、結果、終われない試合状況のため、結果的に中止し、ニュースステーションでもそのまま野球中継を放送しました。もし、Twitterがあったら、テレビ放送の希望が殺到し、もっと早くから放送したかもしれません。

逆に、観客からのライブ放送がアップされまくり、動画がアップされまくり、Twitterがパンクしたかも?そんなこともあったかなー。

あっ、上の画像の久米宏さんの“This is ニュースステーション”は、9回表の近鉄チャンスの場面での、新井選手の痛烈な三塁線への辺りをロッテの三塁手の水上選手のファインプレーでアウトにした場面での、実況の安部さんのコメント“This is プロ野球”からアドリブで言われたコメント、これも10・19の名場面の1つだと思います。

 

7時間33分の死闘

第1試合3時間21分 第2試合4時間12分 合計7時間33分の試合が終わる頃、スマホの充電は当然ながらもちません。やはり、モバイルバッテリーは必須ですね。という現実的な視点で締めたいと思います。

 

ありえないけど、もし当時のTwitterがあったら、各名場面でどんなに盛り上がったんやろか、考えるだけで楽しくなります。

ということで、それでは、またー。

 

 

近鉄バファローズ回顧録⑥“野茂投手と同期入団の選手 石井浩郎選手 ”

近鉄バファローズの代表する4番バッターの1人、石井浩郎選手。近鉄バファローズ時代は知らなくても、全国的に有名になったのは、巨人に移籍してからの日本テレビの日曜日朝の番組内のミニコーナー「拝啓 石井浩郎です」ではないでしょうか。

 

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石井選手は、1989年のドラフト3位で近鉄バファローズへ入団しました。

そのときの1位指名は、先日ブログに書きました、野茂英雄投手。結果的に、近鉄バファローズは、その年に、エースと4番をドラフトで獲得した素晴らしい年だったんです。

shigefujimo.hatenablog.com

どうも、もっさんです。ということで、今日の近鉄バファローズ回顧録は、石井浩郎選手です。

近鉄バファローズは、こんなチーム

近鉄バファローズというチームは、「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまい、「ダメだ」「無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームです。

チャンスに強い4番バッター 石井浩郎選手

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ボクの当時の記憶だと石井選手の入団は地味だった記憶があります。ドラフト1位で野茂投手が入ってきたから。1年目の7月に新人ながら月間MVPを受賞するのですが、確かそれは、新人の月間ホームラン記録になるぐらい、ホームランを打ったからだと思います。懐かしいなー。間違ってたらごめんなさい。

1年目から22本のホームランを放ち、以降5年間、近鉄の4番として活躍しました。ボクは少年ながら、そのチャンスに強い4番というイメージがあり、ホームランは、一緒にクリーンナップと張る、ブライアントやトレーバー、リードなど助っ人選手が放ち、チャンスで必ずランナーをホームへ迎えるのが、石井選手らしさだったと記憶しています。

侍と呼ばれた石井選手らしい独特のフォーム、フォロースルーが特に独特で、こうやって打ちたかったですが、マネできませんでした。バックスクリーンへ放り込む、石井選手のバッティングが一番好きだったなーーー。

共感する人いてるかわかりませんが、動画みつけましたので、どうぞ!

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エース野茂投手に続き、巨人へ移籍してしまう4番バッター

揉めて、大リーグ移籍した野茂投手に続き、四番の石井選手が1996年オフ、巨人へトレードになってしまいます。またまた契約で揉めてしまいます。(前年の怪我で2試合しか出れず、契約更改で揉める)近鉄を振り返るとこんなことばっかり。大好きな石井選手が巨人に移籍してしまいます。(ただ、石井選手が好きだったので、 当時巨人戦はテレビでたくさんやっていたので、個人を観る意味ではよかったけど)

近鉄はこうやって主力と揉めて放出してしまうのですが、ほんとファンとしては、なんでやねん。な心境であります。

 

巨人へ移籍した1997年は、四番バッターばかり集める巨人と揶揄され始めた頃だと思います。FAで清原を獲得し、その2年前には、広沢(ヤクルトの4番)や、ハウエル(ヤクルトの5番)がいたりと、そこに、石井選手が加わりました。怪我で出遅れたこともあり、スタメンは6月からでしたが、主にこの頃から、代打がメインになっていきました。

 

石井選手は、4球団を渡り歩いた選手。それぞれの球団でファンに愛される男でした。引退試合もよく覚えています。在籍したことがある巨人ファンからも熱く温かく送り出された愛される選手。

 

動画を観ると、泣けてきてしまいます。

怪我に泣かされた石井選手。もし怪我がなければ、石井と中村紀と黄金のクリーンナップが近鉄で組まれていたんじゃないかな、あくまでも妄想ですが、近鉄ファンとしては、観たかったクリーンナップでしたね。

 

今、参議院議員で活躍されているようですが、またプロ野球会に戻ってきて、侍を育ててほしいな、と思います。

 

そんな石井選手、ほんと大好きすぎて、記憶にずーーーーとあったんじゃないかな。ボクは大学時代、そんな石井選手に憧れてリストバンドは赤にしてました。 

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ということで締めたいと思います。

それでは、また。

 

 

27歳女性がキャンドル1万本を1人で吹き消すチャレンジが三重県亀山市であります。

キャンドル屋のもっさんです。今日で、ボクは生まれてから、14296日です。

 

今日も近鉄バファローズのことをブログに書きたかったけど、今日はキャンドル屋としてのお知らせです。

三重県亀山市近郊の方へ、10000本のキャンドルを27歳女性が1人吹き消すチャレンジの目撃者になりませんか?」

 

生誕10000日チャレンジ!

生誕10000日を記念に、27歳女性がキャンドル1万本を吹き消すというチャレンジが、2017年6月18日(日)に三重県亀山市のカメヤマローソク亀山工場であります。

 

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今回挑戦する女性が自身の生誕10000日の記念に、1万本のキャンドルを吹き消したい、ということを、【社団法人 10000日記念日】へ相談したことから始まったこの企画。ローソク&キャンドルの会社ということで、カメヤマローソクで行うことになったそうです。

社団法人10000日記念日とは、こちらに。

www.10000days.net

以下、(社)10000日記念日のサイトから引用。

27歳4.5ヵ月で迎える生まれてから10000日目の記念日。

もっと素敵な大人に。責任ある大人に。夢を実現に近づける大人に。
なにげない一日だけど特別なこの日を
きっかけのひとつとして、
「なにかを始める」
「なにかに挑戦する」
「誰かに感謝する」
そんな皆さんを応援するために設立しました。

 

10000本のキャンドルを吹き消すって想像できないです。

普段、キャンドルを消すとき、ボクは、手で消すか、吹き消すか、たくさんあるときは、団扇や扇子を使って消すか、のどれか。なぜたくさんのときは、団扇や扇子を使うかというと、息で吹きかけて消していくと、苦しくなるから。いわゆる酸欠状態になるから。だからたくさんのキャンドルを消すときは、小道具が必要です。

お誕生日のケーキのキャンドルなんかもそんなに多くないし、ケーキの上の限られた範囲で消すので、ひと吹きするといくつか消えますね。

今回のチャレンジは、広場に灯った10000本のキャンドルを消すので想像できないチャレンジなんです。仮に、1本1秒で消していくとすると、10000秒=約166分=約2時間46分です。ハンパないです。(今回、酸欠用に酸素ボンベも用意されるそうです。)そんな無謀とも思える、前代未聞のチャレンジなんです。

 

三重県亀山市近郊の方へ 目撃者になってください!

今回の企画、カメヤマローソクの亀山工場で開催されるのですが、一般の方も入場無料なんです。10000本のキャンドルが灯る景色もなかなか見れる機会もなく、幻想的な空間が広がっていることでしょう。当日は17時30分 開場→18時30分~ チャレンジスタートです。始まるころはまだ明るいかも知れませんが、次第に夕暮れになり、日が暮れ、暗闇の中で、1本ずつ吹き消していく景色を体験してほしいですし、前代未聞のチャレンジの目撃者になりませんか?

 

 ■イベント概要

日時:2017年6月18日(日)

17時30分~一般入場

18時30分~チャレンジスタート

21時30分 1万本吹き消し完了予定

会場:カメヤマ株式会社亀山工場 三重県亀山市栄町1504-1

 

 

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あっ、目撃者になってもらっても、ボクの給料は一切あがりませんので、念のため。

 

 

近郊の方でお時間ございましたら、足を運んでいただけたら嬉しいです。

近鉄バファローズ回顧録⑤“スーパースター野茂英雄投手”

近鉄バファローズのブログを書こうと思うと、記憶と参考になるYouTube探して、その動画見て1人懐かしくて楽しくて、関連する動画また見て、楽しくなってブログを書くのが、めっちゃ時間がかかってしまいます。過去平均3時間かかっています、もっさんです。

 

今日は、近鉄バファローズを振り返る上で、絶対外せない野茂英雄投手のことを書きたいと思います。

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近鉄バファローズは、こんなチーム 

近鉄バファローズというチームは、「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまい、「ダメだ」「無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームです。

 

野茂英雄投手のポイント

ついでに豆情報

  • 専属捕手は、光山捕手(豆情報)
  • 1度だけ打席に立ったことがある。(オールスターで、秋山選手がファールを顔に当て、オリックスのヘルメットを被って代打で打席に立った)

 

1989年ドラフト会議

1989年パ・リーグ制覇、日本シリーズではジャイアンツに3連勝の後の4連敗で、残念ながら球団初の日本一にはなれませんでしたが、1989年ドラフト会議ではやってくれました。注目NO.1の野茂英雄投手が近鉄入団することになりました。ロッテ、大洋、日本ハム阪神、ヤクルト、ダイエーオリックス近鉄の8球団の1位指名競合と。ちなみに、それ以外の球団の1位指名は、中日 与田、西武 潮崎、広島 佐々岡、巨人 大森。

当時ドラフト会議の司会のパンチョ伊藤さんの「第1回選択希望選手 近鉄 野茂英雄 21歳 投手 新日鉄堺」のフレーズは小学生時代流行ったなーーー。

今、見て気づいたんですが、1位指名が競合した場合は、下位球団からくじをひくのですが、近鉄仰木監督のくじ引きが1番最後だったんですよね。ということは当たりくじが最後まで残っていたのに、運命を感じるし、仰木監督は持ってるわーー!!!って。

 

当時の貴重な映像を見つけました。

 

 

出てくる監督たちが全てわかる方は、通な人ですね。

 

この年のドラフト会議は、後にプロ野球で活躍する選手が多かったんですよ。

ヤクルト 西村投手、古田捕手、広島 佐々岡投手、前田選手、中日 与田投手、阪神 新庄選手(5位入団)、大洋 佐々木投手(大魔神)、巨人 吉岡(後に近鉄で主力で2001年の優勝に貢献)、ダイエー 元木(入団拒否し浪人、翌年巨人に入団)、近鉄 石井選手、西武 潮崎投手、オリックス パンチ佐藤日本ハム 岩本投手(ガンちゃん)、ロッテ 小宮山投手と、90年代、00年代を代表する選手がたくさんいた豊作と言われたドラフト会議でした。

 

トルネード投法

当時の小学生の物マネは、オグリビー→八重樫→野茂英雄になったんじゃないでしょうか。それぐらい特長的なトルネード投法。野茂投手以降、トルネード投法で甲子園出てきた高校野球選手もいましたが、やはり、トルネード投法は、野茂英雄投手でしょう。

高校生頃からトルネード投法の原型みたいなので投げていたそうですが、1988年のソウルオリンピックで銀メダル獲得に貢献し、近鉄入団になりました。

そんなトルネード投法近鉄入団の契約書に、“ピッチングフォームはいじらない”という文言が加わっていたそうです。今、思うのは、当時の近鉄仰木監督だったのも、うまくマッチしたんじゃないかな、と思っています。

 

 

 

入団当初、三振をバッタバッタと奪うので、「ミスターK」と呼ばれていましたが、ミスターKだと、三振をたくさんする人=三振王になるので、三振を奪うという意味で、「ドクターK」と呼ばれるようになったのが記憶の片隅にあります。

 

藤井寺球場で思い出のKボード

野茂投手が先発する日は、赤ベースに白地でKと書かれたホームベース型のボール紙のボードが来場者に配られていました。野茂投手が三振を取るとファンがそのKボードを上げて盛り上がる、みたいな。

こんな感じのボードです。

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だから当時は、今日は登板日を予想して藤井寺球場に通っていたのも思い出します。でも、今のように予告先発の時代じゃないから、よく予想だけで観戦に行ってたなーーー、と思います。だから野茂投手見たさで、野茂投手が先発する日と予想されるときは、観客も多かったし、強いチームに登板することが多かったので、西武戦をよく観戦した記憶があります。

 

そして、知ってる人は知っている、知らない人は全く知らない、楽天 則本投手が6試合連続2桁奪三振の日本タイ記録の並んだとき、野茂投手の記録が蘇ったのが近鉄ファンとしては嬉しいものでした。(2017年6月12日現在、則本投手の記録は、8試合まで伸びています。)

 

www.asahi.com

 

近鉄退団→メジャー挑戦

冒頭に書きましたが、

近鉄バファローズというチームは、「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまい、「ダメだ」「無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームです。

という球団なんです。野茂投手入団で、毎年最多勝、毎年王者 西武と優勝争いをするも、優勝できず、でも今年こそ、今年こそ、で近鉄も強かったんです。

でもね、近鉄と球団、優勝できるぞ、とファンが期待している中、まさかの出来事が起こります。それが野茂投手の任意引退。(自由契約でもなく、トレードでもない任意引退にしたのは、他の球団でプレーできないようにしたかったため)

 

理由は球団と揉めたようですが、ホンマあかんことでしたよ。野茂投手のいない近鉄はエースがいなくなりました。(10・19でフル回転し、1989年の優勝に貢献した阿波野投手も、巨人へトレードになっていた) 

近鉄は野茂投手に代表されるように、よく選手と揉め、トレードで選手を放出していました。そんなところも悲しいかな、近鉄らしいんです。

だから、ボクは、何やってんねん!と当時高校生ながら思っておりました。

 

当時、任意引退になると、簡単に言うと、前所属球団の同意なしに、国内の球団と契約できない、というルールだったそうです。つまり、海外の球団には及ばないため、野茂投手はメジャー球団(ドジャース)と契約し、活躍することになります。

ですので、結果的には、野茂投手が日本人選手のメジャーの扉を開け、伊良部、長谷川、イチロー松井秀喜ダルビッシュマー君などに代表されるようにメジャーで活躍する日本人選手が出てきたことは、近鉄の功績(笑)かも知れませんね。

 

あとがき

野茂投手の近鉄の活躍は、5年しかありませんでしたが、トルネード投法パ・リーグの強打者たちからバッタバッタと三振を取る姿は、自分の記憶から忘れることはありません。

 

指導者として、バッターとストレートで男の勝負をするピッチャーを育ててほしいな、と近鉄ファンとして夢を見ています。

ということで、それでは、またーー。 

エクスマ塾第3講 自分のやることがわかりました。

近鉄バファローズが大好きだった、もっさんです。おはようございます。無意識だったんですが、お気に入りのスニーカーも、バファローズカラーだったのを最近気づきまして、DNAに染み込んでいるんじゃないか、と勘違いしています(笑)

 

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これね、近鉄バファローズカラーの、NIKEのDUNK。

 

エクスマ塾第3講に行きました。

6月7日は、エクスマ塾第3講。会うたびに仲良くなる同期メンバーと、一緒に楽しく学べるのが、次回の後1回。そう思うと次も楽しむぞって思います。今回は、3回目だったたからか、個人的には人見知りもだいぶなくなったような気がします(笑)

 

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好きを仕事にすることを考える

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今回は、好きを仕事にするために、3つに分けて考える、ということで、各自、3つにわけて考え、書き出して発表し、アドバイスをもらいました。16名分の発表、そしてアドバイスが自分のじゃなくても、気づきがありました。

例えば、映画が好き、音楽が好き、ではなく、好きを大きく言うのではなく、より具体的に細かく。細かければ細かいほどいいと。例えば、映画だったら、「007」が好きと。野球だったら、野球ではなく、近鉄バファローズが好き。(近鉄バファローズファンというかなりニッチですね。もう球団ないし(笑))

自分にもらったアドバイス、そして同期の皆の発表からのアドバイス、そこで「!」と来たこと、気づいたこと、たくさんあって、すぐに取り入れることがありました。

 

藤村先生は、講義が終わったあと、Facebookでこのように投稿されていました。ボクがぐちゃぐちゃ書くより、投稿をお借りしたほうがいいと思ったので、投稿を貼らせてもらいます。

 

エクスマ塾84期の第3回目が終わりました。
それぞれの「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」を分けて考え、SNSやブログで発信する。
そして人々とたくさんつながり、自分という「個」に共感してもらう。
何ものでもない人間の価値は、下り続けるのです。個性を発信するのが今の時代の独自の価値になるのです。
自分の好きなことや、得意なことで、個性出して、世の中やお客様、つながっている人たちに貢献することですね。

 

 

自分のやることがわかりました。

自分の書き出したものを見たら、今回アドバイスをもらったことが蘇ってきました。 

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会社員だし、こんなことせんでもいいんじゃないの?って思われる人がいるかもしれません。僕は、もし今いる会社の看板が外れたら、藤本という人間はどんな価値があるかなって、思うと不安になるし、やっべーーーって思います。会社員やからブログなんか書く必要あるの?SNSやる必要あるの?って思われるかも知れませんが、会社員だからこそ、看板が無くなったときに恐ろしくなるから、やるし、なんやったら、自分の好きを発信して、それに共感してくれた人と仲良くなって仕事をしたいなって思っています。

 

だから、今回聞いたこと、気づいたこと、発見したこと、を小さいことでも行動する、と最後に藤村先生から話がありました。2週間後のエクスマ塾84期は次が最終回です。とにかく小さいことでも行動して、最終回を迎えたいと思います。

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まず自分がやることは、「スローカーブをもう一球(山際淳司著)」の江夏の21球を読むことです。近鉄バファローズファンとして。藤村先生が読んだほうがいいよ、って言っていたから。 近鉄バファローズの選手のこと、エピソード、球団のあんなこと、こんなこと、もっさん視点で書いていきたいな。ごくごく少数の人に向けて(笑)好きだから楽しいしね。

 

ということで、エクスマ塾第3講のまとめです。

それでは、またーー 。

エクスマ塾第2講で気づいた「自分って何も考えてなかったな。」

5/23、24と2日間(実質0泊2日笑)エクスマ塾第2講の合宿に行ってきたのですが、ようやくブログに書こうとキーボードを打ち始めた次第です、もっさんです。

エクスマ塾第3講が明日6月7日にあるのですが、第2講を書いてないやーん、と下書きに掘り込んだままのブログを慌てて更新です。そう、ボクは夏休みの宿題は、ギリギリからやるタイプでした。

 

エクスマ塾名物“他己紹介

藤村先生は言いました。

・人はたくさん情報を知ることで親しくなり、関係性が変わる。だから情報は開けっぴろげにする。

・人間関係で情報が少なすぎると、嫌いになるし、好きにならない。

・人と近い情報になるには情報を発信しよう、情報を届けよう。

SNSで情報を個を出した情報を発信することで親しくなる。

 

エクスマ塾の名物と言われている“他己紹介”、エクスマの先輩たちからは、「寝れないよ~」と意味深な言葉だけ聞いていたのですが、その意味も当日、ようやく理解ができるのでした(笑)

1回目の合宿で会っているとは言え、実質、ほぼ何も知らない人を、10分間メモも見ずに魅力的に紹介する、というワークを行いました。 

 

「10分間」「メモも見ず」「魅力的に紹介する」というフレーズが、妙にプレッシャーになって、「できるんか、できるんやろか」って頭をぐるぐる回る。

 

ええ、予想通り、脳みそがシワシワになって汗をかきまくった2日間でした。

 

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このチームをサポートしてくれた克ちゃんが撮影してくれた発表中の様子。

左から、寅さん、ボク、エイサク、まいちゃん 。

 

その人を魅力的に紹介するには、たくさんのことを知らないと紹介できません。ほとんど知らない人を紹介するには色々知らなくてはいけません。

 

情報は、収集→編集→発信の3段階

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藤村先生は言いました。

情報を発信するためには、

・情報を収集する

・収集した情報を編集する

・編集した情報を発信する

 と。

他己紹介をするにおいては、紹介する人の情報を収集し、その人を魅力的に伝えるために収集した情報を編集し、編集した情報を発信する。文章にすると簡単に聞こえますが、10分間、メモも見ず、人の前で発表するのです。

 

紹介をするためには、その人自身の情報をたくさん知らなくてはいけません。また、自分の情報をたくさん出さなくてはいけません。(ボクも紹介してくれた寅さんには、ボクが出す情報が少なすぎて困らせてしまいましたね。ごめんなさい。)

今まで生きてきて良かったこと、嬉しかったこと、嫌だったこと、隠しておきたいこと、悲しかったこと、チームのメンバーで出し合い、また質問して聞きだす。たくさんのことを教えてくれました。藤村先生の言うように、チームで聞いたたくさんの情報で、たくさんのことが知れ、この時点でみんなのことが好きになりました。

 

情報を収集した後は、編集。聞き出した情報は、魅力的に皆に伝えるために編集をします。どうやったら魅力的に伝えることができるのか、自分の苦手な部分を改めて知ることができました。また、編集しても足らない情報があり、また収集。収集と編集を繰り返すのです。どの順番で話せばいいのか、何を伝えればいいのか、魅力的に伝えるには、何を、どの順番で、ということもたくさん悩みました。考えました。

 

そして、発信。メモも見ずに10分間話をするわけです。1発でできるはずもなく、話す練習を繰り返します。できるようになるまで練習。翌日の発信のために、収集、編集と発信の練習。これを夜通し繰り返したのです。みんな。ほぼ寝ずに(笑) 布団に入ったのは4時半ぐらいだったかな~。

 

準備は整った?またはキンチョー?の朝。

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同期皆さんの話を聞いて、皆めっちゃ考えて、情報仕入れて、魅力的に話して、同期16人のことがたくさん知れて、好きになりました。第1回目よりたくさん知れて好きになった、そんな2日間でした。冒頭で藤村先生が言われたように、たくさん情報を知ることで親しくなる、好きになる。それを体感した2日間でした。 

 

  

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チームの発表が終わり、笑顔のチームと、サポート講師の克ちゃんと。

チームで2日間行動し、たくさん助けられたな、と思いました。サポート講師の克ちゃんには、たくさんサポートしてもらい、アドバイスいっぱいもらい、ありがとうございました。また、同じチームの寅さん、エイサク、マイちゃんにはたくさん話を聞かせてもらい、また質問もらい情報を引き出してもらい、大変だったけど、今思えば大切な時間でした。ありがとう。

 

仕事でこんなに考えて、練習したことあったっけ。

2日間を通じ、また、2週間経って感じるのは、仕事で、「ここまで考えて練習したことあたっけ。」ということでした。

例えば、ボクであれば、お客様に対して、自分の口から発する会社のこと、商品のこと、提案のこと、また、社内でプレゼンするとき、ここまで考えたことなかったんじゃないか、ということでした。情報を収集して、編集して、発信する、その行為すらわかってなかったんじゃないかな、魅力的に伝わるように、練習したか、など、今までを振り返る日ともなりました。

だから、このブログもそうだけど、情報を収集して、編集して、発信する練習にもなるんだから、続けよう、と思いました。(更新できずに2週間放置してしまってたけど)

ですので、また更新していきますので、お付き合いしてもらえたら嬉しいです。

 

 

 

近鉄バファローズ回顧録④“10・19の翌年1989年の優勝と日本シリーズ”

先週から書き始めた近鉄バファローズ回顧録、まだまだ書きたいことがありすぎて、また書きます。書き始めたことで、“ボクも近鉄バファローズファンでした”という方に出会うことができて幸せです、もっさんです。

 

今日と明日、お休みもらって、滋賀雄琴温泉へエクスマ塾に通います。何か緊急の連絡があれば事務所へ連絡をお願いします。

 

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近鉄バファローズというチーム

近鉄バファローズというチームは、「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまい、「ダメだ」「今年は無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームです。

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こちらの本は、近鉄バファローズ元応援団長の佐野さんが書かれたボクの愛読書ですが、そこに書かれていて、初めて読んだときに、「その通り」と膝を叩いて納得したのをよく覚えています。

 

1989年シーズンの状況

1989年シーズンは前年の熱パの状況が再現され、最後の最後まで優勝がもつれました。

簡単におさらいすると以下のような状況でした。

  • オリックスブレーブスが開幕ダッシュに成功し、6月末時点で2位近鉄に最大8.5ゲーム差をつけていた。
  • 7月以降、近鉄が猛追、8月に首位に立ち、一時は2位にゲーム差をつけた
  • 8月、9月で西武が猛追、9月には一時的に首位に立ち、西武、近鉄オリックスの三つ巴で10月を迎える。9月29日時点で、首位から3位まで3.5ゲーム差の混戦。

混戦は、10月も続き、10月11日が雨のため試合が中止、予定されていた、西武-近鉄戦、オリックス-ロッテ戦は翌日の同カードにダブルヘッダーが急遽組まれました。そのダブルヘッダーで、西武が連勝し、オリックスが1引き分け、または、西武が1勝1分け、オリックスが1敗または2引き分けで西武の優勝が決まるという状況でした。

はい、ここ近鉄からんでなく、西武の有利の状況で西武-近鉄戦のダブルヘッダーが10月12日を迎えます。先に書いたように、「ダメだ」「今年は無理や」と諦めたときに、見事に裏切って、いってしまう不思議なチームは、奇跡を起こすのです。

 

近鉄ファンの語り草 “奇跡の4連発”

そんな1989年の優勝の可能性が限りなく厳しい状況で、この男の奇跡の4連発で優勝へ爆走することになりました。この男無しで優勝はなかったことでしょう。もっさん的超絶ポイントと書こうと思いましたが、ここは近鉄ファン共通認識だと思います。そんな奇跡の4連発をどうぞ!

 

 

 

この可能性が限りなく小さいゲームでブライアントの奇跡の4連発で、一気に優勝が見えました。こういう伝説と言われたり奇跡のホームランと言われるもので、阪神タイガースの1985年のバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発もありますが、ボクとしては、このブライアントの奇跡の4連発を、1番の伝説のホームランだと推しています。なんせ優勝争いの中でのホームラン、優勝を手繰り寄せるホームランなのでね。(阪神の3連発は、シーズン序盤だったという意味で)

 

悲願のパリーグ制覇

西武のダブルヘッダーで奇跡の勝利をした近鉄は、首位に立ち、マジック2が点灯、ゲーム差無しで2位、オリックス、1ゲーム差で3位西武という順位になります。 

翌日、オリックスがロッテに敗戦し近鉄がマジック1になり、藤井寺球場でのダイエー戦を迎えます。優勝まであと1勝として。

優勝へ向けて最後のイニングとなる9回、前年、迎えることのなかった優勝へ向けて最後の守備、ここから洗練されたファンタスティックプレーが続きます。ライト鈴木選手、セカンド大石選手、前年の悔しさを知っている選手が、優勝に向けて最高の守備を見せてくれます。(動画5:30からです。)

そして、前年言うことがなかった、「あと1人コール」「あと1球コール」の中、エース阿波野投手が全球ストレートで三振にとって優勝を決めました。(動画13:50~)優勝の瞬間絶対見てね~。

って、自分ブログ書きながら動画も見てたら、前年の10・19のことがあったので、泣きそうになってしまいました。ちょうどこの優勝の瞬間は、小学5年生でテレビで観ていて、試合内容は覚えていなかったけど、この阿波野投手が投げて、三振で優勝する、相手はダイエーホークスで、ガッチャマンヘルメットって、今でも覚えていました。それほど少年時代のボクに強烈な印象を与えてくれたんでしょうね。

動画を観たら気づくのですが、胴上げに観客がなだれこんでいます。昔のプロ野球のいい時代やったなーーーって思いふけっています。

 

で、優勝の瞬間を待つ近鉄ベンチの面々を観てると、なんかかわいいなー、子供みたいにワクワク優勝の瞬間を楽しみにしてるなーって感じてしまいましたが、ボクだけでしょうか?

 

 

 

 

 

 

もっさん的超絶ポイント“日本シリーズ3連勝で。。。”

悲願の優勝を達成し、日本シリーズへ進出する、近鉄バファローズ。対戦相手は巨人。ペナントレースを優勝した勢いのまま、第1戦から3連勝。これは日本シリーズいける、日本一いける!となりました。当時、ボクは近鉄ファンであり巨人ファン。ただこの日本シリーズ近鉄バファローズを応援していました。理由は、過去近鉄バファローズの歴史に日本一がなかったからです。初の日本一に向けて、3連勝でいける!となります。

でもね、ちょっと待ってください。最初に書きました。近鉄バファローズというチームは「いけるぞ!」と期待をしてしまうと、ダメになってしまうということを。かの有名なあの事件「巨人はロッテより弱い発言」があったことで、そこから4連敗。日本一を達成することはできませんでした。。。。

 

ここでボクの超絶ポイントは、この日本シリーズで、近鉄ではなく、巨人のことなんです。巨人ファンであったボクは、中畑清の大ファンでした。原、クロマティ、篠塚、桑田、槙原、齋藤より、中畑清。この1989年で引退が決まっておりました。中畑清は、日本シリーズ第7戦でホームランを打ち、巨人は日本一になりました。現役最終戦で日本一を決めるゲームでホームランを放つ中畑清近鉄バファローズ回顧録ではあるけど、超絶ポイントとしてオススメしたいです。

動画5:50から観てください。男やで!中畑清!で、注目がもう1つあって、ホームランを打った後、バットを投げるのが特徴的なんです。後の近鉄に入団し4番バッターに成長する中村紀洋(通称ノリ)は、中畑清のバット投げに魅了され、自身も取り入れたらしいです。

 

 

 

ということで、近鉄バファローズの初の日本一は持ち越しとなるのですが、挑戦できるのは少し先となります。

以後、西武と近鉄での優勝争いが続く中で欠かせない男が翌年入団するのですが、この話はまた改めて。

それでは、またーーー。

 

エクスマタイムズ2に参加して、まずは得たことを行動に移す、ということが大切とわかりました。

だ金曜日、仕事が終わって家に帰ってブログを書こうと計画しましたが、意気込み過ぎたのか、電車で寝過ごしてしまい、豊橋まで行きました。木曜日もエクスマタイムズ2に続き、連日の豊橋行きでした、もっさんです。

 

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先日、豊橋で開催されたエクスマタイムズ2に参加しました。

今、エクスマ塾に通っていて、自宅から近くの豊橋でエクスマセミナーが開催させる今回の機会はなかなかないと思い、申し込みをしました。

エクスマ(エクスペリエンスマーケティング創始者の、藤村先生、アパレルメーカーの社長の短パン社長こと、奥ノ谷さん、豊川で官公庁や鉄道会社へコンクリートを卸す会社の克っちゃんこと、松林さん、豊橋で工具のショップをされているファクトリーギアの、てっちゃんこと、澤山さんの4名の講演のセミナーでした。

エクスマタイムズ2となっていますが、昨年に続き、豊橋で2回目の開催でした。

 

エクスマセミナーって。

他のセミナーというものに行ったことがないので、よくわかりせんが、オープニングから、曲が流れ(今回は、映画「ブレードランナー」のBGMでスタート)、ブレードランナーの映画のお話からスタート、セミナー中の写真撮影OK(スライドの撮影ももちろんOK)、撮影した写真は、SNSにどんどん投稿してね、って言われます。(よくマネされることを嫌がる人、セミナー、会社があると聞きますが)エクスマセミナーは違います、ですので、Twitterにどんどん投稿されます。もし、どんなセミナーかは、Twitterで、#エクスマタイムズ と検索すれば、たっくさーん出てきますので、どんなお話なのか見れますよ。で、セミナー中は、笑いが絶えない、セミナーなのかショーなのか(笑)、とにかく楽しく学べます。で、来られている人も、「はじめまして」やけども、FacebookTwitterで見かけたことあります!という方が多く、たくさんの方とご挨拶することができました。というのが、ボクの感じるエクスマセミナーかなーって思います。

もちろん聴くお話が、ビジネスで活かせる事例や取り入れてみよー、あーできてないなーって自分で感じ、発見すること、気づきを得ることができるので、また機会があれば参加したいと思います。

 

セミナーの中でたくさんのことの話を聞きましたが、今、自分の立場、今現在の立場で何を得て、どうするのか、ってことをまとめてみたいと思います。

 

 

藤村先生の講演を聴いて感じたこと 

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藤村先生の話は、5月9日10日のエクスマ塾に続いてでした。

エクスマ塾とときに言われたことを、今回のエクスマタイムズで話を聴いて、あっ!!!まだまだできてないやん、って気づきました。

  • SNSを徹底的に使うこと
  • SNSを遊びで使い倒せ
  • SNSで関係性を作る

 

お話を聴いたり、セミナーから懇親会までを通じ、こういうことか、あういうことか、ああこすればいいのか、って。どんどん遊んで、自らどんどんコミュニケーションを取って、やりたいな、って思うんです。これってSNSだけではなく、リアルの場でも同じやしねって。

 

あと、「会社員は、自分の力で生きていく術を作っておくこと→Twitterのフォロワーを増やしておくこと。」ってことを刺さりました。自分は会社員ですが、未来はどうなるか、誰もわかりません。会社に何か起こったときに、そのときに困るのか、それとも自分で生きる術を持っているかで、状況はかなり違いますね。自分で生きる術を作っておくということは、それだけ今の仕事でも成果を出せると思うんです。そういう意味で、自分で生きる術を作っておくことは、今の仕事で成果を出すというために、やっていきことだと思いました。(こうやってブログ書くことも、文章を書く、伝えるという練習の一環です)

 

てっちゃん(澤山さん)の講演を聴いて

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工具のお店、ファクトリーギア豊橋店の店長で西日本のマネージャーとしてお仕事されている、てっちゃんは、「SNSの立ち位置=学生時代のクラスでの 立ち位置」というようにお話をされていました。てっちゃんは、YouTubeを使って工具の紹介をされていて、コツコツ続けていくことで、チャンネル登録者数5700人、再生回数260万回になったそうです。工具の紹介にビジュアルと文字だけでするのではなく、動画をプラスすることで、動画をコミュニケーションツールとして活用さて、人気のチャンネルになったそうです。動画って動き、声、表情も出るので、てっちゃんのお人柄が伝わって人気になっているようです。

特に人気者でもなくても、クラスの人気者と仲良くなって、普通でも人気者になれるよって。そのためには、自分の好きなことをコツコツやっていくこと、好きなことを仕事に入れることが大切ですよ、そうやって仕事が楽しくなっていくし、人の役に立つんだよ、っていうことを僕は感じ取りました。ボク自身は、特に人気者でもなかったし、目立つような存在でもないし、一見、怖そうに見えるし(笑)、とにかく好きなことを、コツコツやっていくことを大切にしたいな、って思いました。

克っちゃん(松林さん)の講演を聴いて 

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エクスマ塾のサポート講師としてお世話になっている克っちゃんの講演を聴いて、社内の関係性を築き、そしてBtoBのお客様と関係性を築き、社内もお客様も巻き込んで一緒に楽しく仕事をされているお話でした。

 

克っちゃんは、以前、社内の人が寄り付かなかったそうです。そこでエクスマで学んだことを行動し、関係性を築くために、周りが変わるのを待つのではなく、また周りを変えるのではなく、自分自身が変わる、というお話で刺さりました。よく周りが悪いからこうなんだ、とか自分ができない理由を、周りの責任にする話を聞くのですが、まず自分が変わる、ということが大切だなって、気づかされ、お話しに感動しました。 その関係性を築くためにSNSは使えるんだよ、どんどん自ら発信して、関係性を築き仲良くなれるよ、っていうことを感じました。

 

短パン社長(奥ノ谷さん)の講演を聴いて

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とにかく行動されてきた短パン社長の話は、どれも大切なお話です。7年間毎日ブログを書き、Facebookは1日3投稿し、Twitterは1日に40回ツイートされています。お客様に「ありがとう」ってきちんと言っていますか?毎日、お客様に電話したり、手紙書いたり、会うことができないけど、SNSで発信はできるでしょ?って。結果、短パン社長のお仕事は絶好調、アパレル会社の社長でありながら、テレビのバラエティ番組に出演もされていています。その短パン社長がコツコツ行動することでお客様と関係性を築き、仲良くあって、お仕事も絶好調、だから、毎日コツコツ行動するんだよ、発信するんだよっていうことをボクは感じました。

で、出てきたスライド、これ大好きでした。大好きというのは、おもしろいってのもありますが、短パン社長が忙しい中発信できるのに、言い訳なんかするなって。なんか何かと言い訳を思いついてしまう自分に重なって自分に言われてるんじゃないかって。

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だから、短パン社長の最後のスライドで、セミナー楽しかったな、よかったな、参考になりました、ではなく、参考になったら1つでも行動に移しましょって言われていたことに、その通り、行動しないと意味がない、と感じました。 

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あとがき

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セミナーのエンドロールでのスライドです。このメッセージを心に置き、得たことを1つずつコツコツ行動していくぞって。

 

たくさんのことをセミナー中に聴いたのですが、全部が全部、いきなりできるわけでもないし、本当の意味で理解できていないこともあるので、そのあたりは時間をかけて、また再度お話を聞いて、こういうことか、と繋がるときが来ると思うので、それまでは、やろうと思ったこと、できてないな、でもやれるな、すぐにできること、それらを行動していきたいなって思いました。

 

そんな楽しいエクスマタイムズは、家に帰るまではエクスマタイムズです。仲良くしてもらっているお仲間と、さすが皆さんとスマホを触りながら帰宅しました。

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ということで、長くなってしまいましたが、それではまたー!!!

近鉄バファローズ回顧録③“伝説のダブルヘッダー10・19 第二試合”

昨日のブログ記事は、3時間かかってしまい、10・19の第二試合まで到達できなかったので、今日は第二試合のことを書きたいと思います。あっ、もっさんです。

 

昨日書いた、伝説のダブルヘッダー10・19第一試合の続き、第二試合です。

shigefujimo.hatenablog.com

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ダブルヘッダー第二試合のルール(当時)

当時のダブルヘッダー第二試合のルールのおさらいです。

  • 第二試合は、延長12回まで。
  • ただし、試合開始から4時間を経過したら、新しいイニングに入らない。

つまり、勝つためには、9回までに勝利するか、延長になった場合は、時間との戦いになるため、4時間経過するまでに早くに勝ち越して勝利するか、ということになります。

 

第二試合の経過状況

第一試合をなんとか勝利した近鉄は、優勝に向けて130試合目を迎えます。第一試合終了後から23分後にプレーボールです。当時のボクは、1試合目を勝ったので、優勝は間違いない、と確信をしていましたが、筋書きのないドラマは第二試合でクライマックスを迎えます。(当日は、大阪では、第一試合から生放送をしており、ずーーーっと見てました)

第二試合のスタメン。

1番(二)大石、2番(中)新井、3番(左)ブライアント

4番(D)オグリビー、5番(一)羽田、6番(右)鈴木、

7番(三)吹石、8番(捕)山下、9番(遊)真喜志、投手 高柳

オールド近鉄ファンの方に向けて書いておくと、他のベンチ入りは、淡口、村上、梨田、ヘラクレス栗橋、投手は、吉井、阿波野などがいました。

あと、サードのレギュラー金村がいましたが、6日前に骨折をしてしまい、試合には出場できませんでした。ただ仰木監督からの指示の元、ベンチに入り、応援で一緒に戦っていました。

  • 2回 ロッテがホームランで1点先制
  • 6回 近鉄 オグリビーのタイムリーで同点
  • 7回 近鉄 吹石、真喜志のソロホームランで2点勝ち越し ←伏兵2人のホームランで優勝を確信しました。
  • 7回 ロッテがソロホームランとタイムリーで同点
  • 8回 近鉄 ブライアントの34号ソロホームランで勝ち越し ←ここで優勝を確信!
  • 8回 抑えとして第一試合に続き阿波野が登板も、ソロホームランを浴びる
  • 9回 近鉄 チャンスを作るも無得点
  • 9回 ロッテの攻撃中に、判定をめぐり、9分間の中断。
  • 10回 両チーム無得点で、引き分け ゲームセット。
  • 7回 ロッテがソロホームランとタイムリーで同点
  • 8回 近鉄 ブライアントの34号ソロホームランで勝ち越し ←ここで優勝を確信!
  • 8回 抑えとして第一試合に続き阿波野が登板も、ソロホームランを浴びる
  • 9回 近鉄 チャンスを作るも無得点
  • 9回 ロッテの攻撃中に、判定をめぐり、9分間の中断。
  • 10回 両チーム無得点で、引き分け ゲームセット。

 

第二試合のもっさん的超絶ポイント 伏兵 吹石のホームラン

まず、超絶ポイントとして書きたいのが、伏兵 吹石のホームランです。子供ながら、7回表に飛び出した、勝ち越しホームランは優勝を確信させるホームランでした。吹石選手は、ベテラン内野手サードのレギュラー金村選手が骨折で試合に出れないため、代役でサードを守っておりました。子供の頃の記憶では、特に華やかな選手ではなく、どちらかというと守備のイメージの選手でした。(名前が特徴があったので、子供ながら認識していました)

その守備の人、吹石選手は、勝てば優勝が決まる試合で、勝ち越しホームランを打っちゃいます。シーズン2本目のホームランがこの大事な試合で打っちゃったんです。どちらかというと地味な印象の強い吹石選手がガッツポーズで喜びを表現するところに、子供ながらに優勝を確信し、また、感動を覚えました。

 

あっ、ちなみに、大事なことなので書きますが、この吹石選手は、福山雅治さんの妻で女優の吹石一恵さんのお父さんで有名です。(たぶん有名だと思います)

 

骨折して出場できない金村選手と吹石選手の動画、9:15から見れますので、ぜひ!(吹石選手のホームランと当時を振り返る金村さんのコメント、今見ても、泣けるわーーー)

 

第二試合のもっさん的超絶ポイント “This is プロ野球!”

8回表にに主砲ブライアントの第34号ホームランで優勝を確信するも、最下位ロッテの意地、8回裏に同点に追いつかれます。優勝するためには引き分けは許されず、勝つのみ、9回表の攻撃に移ります。

9回表2アウトから、切り込み隊長“大ちゃん”こと大石第二朗選手のツーベースでチャンスを作り、勝利に向けて、好打者新井選手が打席に入ります。

優勝に向けての最大のチャンス、新井選手は、選手、監督・コーチ、ファンの優勝を確信した火を吹くような痛烈な打球を三塁線へぶっ放しました!「よっしゃーーー!!!」優勝を確信したのもつかの間、三塁手水上選手のスーパーキャッチ、間一髪で一塁アウトになりました。最大のチャンスでのスーパーファインプレー、当時の解説者 安部さんはこう言いました。「This is プロ野球!!!」

抜けたと思った打球をスーパーキャッチ、勝ち越しをすることができませんでしたが、今思えば、敵ながらあっぱれ!。10・19を語る上でのもっさん的超絶ポイントです。

 下の動画の、4:00からご覧いただけます。

 

同点のまま、9回裏に入り、近鉄が優勝するためには、引き分けが許されず、早く守備を終わらせて、次の攻撃に移らなくてはいけません。ここでターニングポイントの語り草になっているロッテ有藤監督の抗議により9分間の中断が入ってしまいました。(この時点で3時間半が経過していた。)ルールを先におさらいしましたが、試合経過から4時間を経過したら新しいイニングに入らないため、近鉄にとっては、優勝するためには、時間との戦いになってしまうのです。ここについては、僕が色々書く必要もないかと思いますので、このへんで(笑)

 

第二試合のもっさん的超絶ポイント 史上最短の消化試合

同点のまま、10回表の攻撃に入るも、近鉄羽田選手のダブルプレーで攻撃終了。試合開始から3時間57分が経過していました。次のイニングに入るためには、ロッテの攻撃を3分で終わらせなくてはならないのですが、現実的に不可能なんです。そんな中、近鉄ナインは、10回裏の守備につきます。そう、勝ちが事実上なくなったわけで、つまり優勝はその時点でなくなりました。10回裏の守備は、引き分けても、負けてもどちらでも優勝はない、事実上の消化試合になってしまいました。1イニングの守備だけが消化試合になる、この守りのときの心境というのはどういうものか想像はできません。ただ、子供ながらに、むなしい気持ちになって、守備を見ていた記憶があります。つい、さっきまで優勝を目指して燃えていたのに、いきなり消化試合になります。

史上最短の消化試合・・・、10・19の中で、これは近鉄ファンとして、忘れられない1イニングなんです。

上の動画の11:58から、羽田選手のダブルプレーが始まり、12:30ぐらいから、史上最短の消化試合をご覧いただけます。(う、やっぱり泣ける・・・)

試合は引き分けで試合終了、1位西武、2位近鉄 ゲーム差なし、勝率2厘差で、西武の優勝が決まりました。

テレビ放送

当時、大阪では、生放送でこの試合が流れていました。第二試合終了が、22時56分だったんですが、白熱した試合は、全国の注目を浴び、テレビ朝日が急遽、全国生中継を行いました。21時~さすらい刑事を中止にして、CMなしで放送、22時~のニュースステーションも放送を飛ばし、試合を中継しました。いまだかつてこんなことはなかったと思います。しかも近鉄-ロッテ戦。全国放送されるなんてね、って今思います。それぐらい、全国で注目された試合だったんです。

下の動画は、試合後の残念パーティーの模様なんですが、なんか微笑ましくなりました。この年、惜しくも優勝を逃しましたが、翌年のさらなる白熱した優勝争い、奇跡の優勝に繋がるなんて、誰もこのときには想像することができませんでした。

 

 

後日談

その年、西武が、日本シリーズ中日ドラゴンズを下し、日本一になりました。西武の主砲 清原選手は、インタビューでこのように応えたそうです。「日本シリーズで負けたら、近鉄の選手に顔向けできませんから」と。

これを聞いた近鉄仰木監督は、「なんて男気のある選手なんだ」と感心をし、後に、清原選手が巨人を退団したときに、オリックス監督だった仰木監督が入団しないか、と声をかけたそうです。そんなエピソードも10・19にはありました。

 

以上で、10・19のお話は終わりです。近鉄バファローズという球団は無くなってしまいましたが、球史に残る名試合と言われる10・19があったり、他にも、たくさんあります。また書きたいな、と思いますんで、続きをまた書こうと思います。

 

あーーー、今日もこのブログ3時間です。長ーーーーーいっ。

ということで、それではまた~。

 

 

近鉄バファローズ回顧録②“伝説のダブルヘッダー10・19 第一試合”

子供の頃から近鉄バファローズのファンだった、もっさんです。

 

昨日から書き始めた「近鉄バファローズ回顧録」、今日は、伝説のダブルヘッダーとして知られる1988年の“10・19”のことを、もっさんポイントで書きたいと思います。

詳しいことは、ネットで検索すれば、細かく書かれているものがヒットします。近鉄バファローズファンの、もっさん視点で拾い上げていきたいと思います。

昨日の記事はこちらです。

shigefujimo.hatenablog.com

 

もっさんの参考資料的文庫本

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当時小学4年生だったボクにとって、10・19という伝説の試合は、テレビで生観戦をしたこともあり、記憶には残っていたけど、詳細に当時の状況を覚えているわけではせんでした。しかし、当時のことを、鮮明に記したこの本に出会ったことで、振り返り記憶と事実とつなぎ合わせることができました。新婚旅行でペルーに行ったのですが、ペルーの空港(リマやったかな?)までは、関空から24時間かかる、とのこと。飛行機内の時間潰しの準備を何もしていなかったのですが、関空の本屋さん的なところで、この本に出会うことができました。

つまり、10・19のことを振り返ることができるこの本に出会えたことは、ペルーを新婚旅行先に選んだカミさんには、頭があがりません(笑)

近鉄バファローズの優勝争い

馬鹿にされた近鉄帽が、誇れる近鉄帽になるときがきたのが1988年です。当時小学4年生の、もっさん少年。当時の状況ははっきりと覚えているわけではありませんが、最終戦で伝説の試合が繰り広げられました。

当時の状況を簡単に整理すると、以下の状況です。

  • 首位 西武とは6月の段階で、最大8ゲーム差があった。
  • 9月15日の段階で、首位 西武と6ゲーム差があった。(通常、この状況だとほぼ逆転優勝は厳しい)
  • その後ゲーム差が少なくなり、10月4日 2位 近鉄にマジック14が点灯。
  • 当時、ドーム球場が東京ドームのみ、雨天中止等々の影響で、近鉄は、10月7日~19日の13日間で15連戦、西武は、7日~16日で10連戦を戦う。(10月22日から日本シリーズがあるため、強行スケジュールになった)
  • 西武は16日で全日程が終了。
  • 近鉄はその後、勝ちと負けを繰り返し、優勝するためには、10月18日終了時点で、10月19日のロッテとのダブルヘッダーに連勝すること、が条件となる。
  • 当時のダブルヘッダーのルールは、①第一試合は、9回で打ち切り、延長戦無し。つまり、同点だと、引き分けになる。②第二試合は、延長12回まで。ただし、試合開始から4時間を経過したら、新しいイニングに入らない。

 

近鉄ファンにとっては、「なんでやねん」な、リチャード・デービスの退団と、伝説の男の入団と。

当時、近鉄の助っ人選手として、主力を張っていたのが、デービスとオグリビー。1番大石、2番新井、3番オグリビー、4番デービス。オグリビーはバットをクルクル回して構えることで、同世代の男子はよくマネしていたね。デービスは、背番号15の長身の右打者。強打者だっと記憶します。そんなデービスですが、「なんでやねん」な事件を起こします。大麻不法所持で逮捕。電撃退団となってしまいます。4番バッターの退団です。おいおい、ホンマかいな。小学4年生でも、このことはよく覚えています。

 

運命とは不思議なもので、この結果、助っ人補強を調査する近鉄は、中日の2軍でくすぶっていた、ラルフ・ブライアントを金銭トレードで獲得することができました。当時、外国人選手は、1軍登録できるのは2人まで。中日には郭源治とゲーリーが1軍で活躍しており、ブライアントの出番はなく、2軍でくすぶっていました。

6月末に入団したのですが、74試合の出場で、34本塁打を記録する、猛打をふるいました。(当時は、年間130試合なので、130試合換算にすると、59本塁打、、、すごいよ。1988年のパのホームラン王は、門田選手で44本塁打、セのホームラン王は、ポンセで、33本塁打です)

このデービスの退団があったことで、ブライアントが加入し、終盤の猛烈な追い上げの要因になったということだと思います。ブライアントは、三振かホームランかの選手でしたが、ほんとよく、気持ちのいいホームランをかっ飛ばしてくれました。東京ドームで初めて、天井に打球を当て、認定ホームラン第1号になったのは有名な話です(のはずです。。。)

 

第一試合の経過状況

近鉄にとっては、優勝するためには、2連勝しかない状況。ルール上、第一試合は、9回までなので、引き分けも許されず、必勝の第一試合でした。

スタメンは、懐かしの選手が並びます。

1番(二)大石、2番(一)新井、3番(右)ブライアント、

4番(D)オグリビー、5番(左)淡口、6番(中)鈴木、

7番(三)吹石、8番(捕)山下、9番(遊)真喜志、投手 小野、

いやー懐かしい顔ぶれです。ファースト新井って、新鮮っす。センターのイメージがったので、新井のファーストは新鮮です。

  • 初回に、ロッテ愛甲の2ランホームランで先制。
  • 5回に、近鉄鈴木のホームランで1点を返す。
  • 7回に、ロッテが1点追加、8回に近鉄村上の2塁打で2点入れて同点。
  • その後、チャンスをつぶしながら、9回を迎えます。

 

第一試合のもっさん的超絶ポイント 9回表 代打梨田

10・19を語る上で、ここはぜひ紹介したいポイントなのが、代打 梨田です。梨田さんは、引退後、近鉄日本ハムの監督につき、現在、東北楽天イーグルスの監督です。梨田さんは、現役当時、強肩の捕手でしたが、打つほうでは、「こんにゃく打法」という独特のフォームを誇っておりました。(よくマネしたなー)

なぜ、ポイントとしたのかは、梨田選手は、この1988年を持って引退することが決まっておりました。つまり、最後の最後の大舞台での代打だったんです。代打の前の状況は、9回表同点、1アウト2塁で鈴木選手のヒットで、勝ち越しが見えて盛り上がる球場、ホームを目指した2塁ランナーの佐藤選手がアウトになってしまい、もうダメだという状況での代打梨田選手でした。現役最後の日の1番切羽詰まった状況、2アウト2塁、点が入れば優勝の望みが繋がり、アウトになれば、優勝ができない状況での代打でした。

結果、梨田選手のヒットで、2塁ランナー鈴木選手がホームに帰り、勝ち越し、そのまま抑えれば、優勝への望みが繋がりました。

鈴木選手がホームに帰り、中西ヘッドコーチと抱き合うシーンは名場面の1つですが、ボクは、梨田選手のヒット、2塁ベース上でのガッツポーズ、そして実況の安部さんの「梨田、君は男だ!」の声、これは記憶にすごく残っていて、もっさん的超絶ポイントとしてオススメしたいです。(なぜか下の動画では、安部さんのそのコメントがありませんでしたけど)

以下の動画の2:50ぐらいから見れますので、ぜひ!

 

 

結果、勝ち越した近鉄は、9回裏、ロッテの攻撃で2アウト満塁とピンチの状況になりますが、エース阿波野が抑え、勝利し、優勝の行方は、第二試合へ繋がりました。(阿波野投手は、2日前に9回完投していました)

 

第一試合を無事勝利した近鉄バファローズは、優勝の望みを第二試合へつなぎます。この状況であれば、いけるぞ!という雰囲気、普段、人気のないカード 近鉄-ロッテ戦は、日本の注目を浴び、第二試合へと続きます。

 

ということで、第二試合は、次に続きます。

それでは、またー。 

 

近鉄バファローズ回顧録①“馬鹿にされた近鉄バファローズ帽”

父親に初めて買ってもらった野球帽は、近鉄バファローズの野球帽でした、もっさんです。

この帽子です↓

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今回、このブログを書くにあたり、写真を探してみたら、この写真が唯一の近鉄帽を着用した若き日の写真でした。たぶん背景から推測すると、4年生(1988年10歳の頃)かなと思います。

近鉄バファローズというのは、2004年まで実在していたプロ野球球団で、2004年を持って、当時のオリックスブルウェーブと合併し、近鉄バファローズという球団は消滅しました。しかし、ボクの知っているだけでも、他の球団でないような記憶に残る試合をしたり、珍事件を起こしたりと、今でも、ボクの記憶の中で生き続けているプロ野球チームであります。

近鉄バファローズのファンになったきっかけ

子供の頃、父親の影響で野球が好きになりました。父親は根っからの巨人ファン、ミスター(長嶋茂雄さん)の現役時代を知っているので、根っからのミスターファン。大阪出身やのに巨人ファンでアンチ阪神。そんな父親の影響(教えか?)で、子供の頃は巨人ファンであり、近鉄ファンでした。

セ・リーグは巨人、パ・リーグ近鉄ファンという教えの元、育ちました。なぜそんな教えになったのか、全く覚えてないけど、当時、大阪には、近鉄バファローズと南海ホークスがあって、お隣の兵庫県には、阪神タイガースと阪急ブレーブスがありました。当時のパ・リーグは観客が少ないので簡単に見に行けるということで、万年Bクラスの南海ホークスより近鉄バファローズということだったんじゃないかなーって推測しています。

 

しかし巨人ファンというのに、巨人の試合を観戦したのは1度だけ、小学1年生のときに甲子園へ阪神戦を連れていってもらいました。試合の内容は全く覚えていないけど、帰りの阪神電車で人が多すぎて、父親に電車内へ無理やり手を引っ張ってもらって乗車できた記憶だけあります。

 

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Wikipediaより引用 

藤井寺球場 - Wikipedia

懐かしの藤井寺球場藤井寺球場は、鳴り物の応援が禁止されていて、もっぱら応援はメガホンを叩くか手拍子するか、声かでした。アナログー!!!

 

そんな藤本家の野球観戦は、もっぱらパ・リーグ。今はもうないけど、藤井寺球場日生球場大阪球場と、大阪でプロ野球の試合ができる球場に3つもあったし、当時のパ・リーグは、今ほど観客がいなくて空いているので、快適だったと記憶します。(7回以降は、タダで入場できるシステムもあったので、ほんとよく連れていってもらったなーー。)

ナイター観戦の日は、母親が弁当作ってくれてね、空はまだ明るいけど、ナイター照明で照らされたグラウンド、風は心地よい涼しい夕方という雰囲気の中で、お弁当食べてね。昔の球場なので、グラウンドとスタンドの距離が近くてね、選手がキャッチボールで使ったボールをスタンドに投げてくれたりしてたな。そんな古き良き日のパ・リーグでした。

 

初めの野球帽

上にも書きましたが、小学1年生初めて買ってもらった野球帽は、近鉄バファローズの野球帽でした。大阪に住んでいましたので、当時、周りは阪神ファンか巨人ファンのどちらかだったと記憶します。近鉄帽を被った藤本少年の記憶、それは、馬鹿にされた記憶です。今でも覚えてるもんなー、よっぽど嫌だったんでしょうね~。夏休みの小学校のプール開放にいった日の更衣室で、すごく馬鹿にされた記憶があります(笑)

小学1年生のときは、1985年でした。1985年は阪神タイガースが、21年ぶりの日本一になる年で、伝説のバックスクリーン3連発(3番 バース、四番 掛布、五番 岡田のバックスクリーンへの3連続ホームラン)があった年でして、巨人も強いですから、どちらも強いチームのファンから、馬鹿にされるわけですよ。。。。ああ、懐かしい。

 

幻の近鉄バファローズ帽の豆知識

この帽子を探がそうと思ったけど、実家にあったときに、捨てた記憶があって、、、、なんという失態を。。。この3色帽ですが、あの太陽の塔をデザインした「岡本太郎」さんがデザインしたんですよ、知ってましたか?知らないですよね。

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万博記念公園HPより引用

太陽の塔 | 万博記念公園

この帽子は、野茂英雄投手が近鉄在籍中まで続いていました。確か、大阪ドームへの移転を機に、帽子のデザインも変更になりました。ただボクにとっては、この3色帽の帽子は、忘れもしない子供の頃の熱狂した近鉄バファローズの帽子として忘れることはないでしょう。

エクスマ塾でお世話になったサポート講師のマックス(壁下さん。*壁下さんも近鉄ファン)から「近鉄帽被りたいねー」ヤフオクで入札をしてみたら、落とせなかったっす。幻の近鉄帽、落札できませんでしたっす。またチャレンジしたいですが、どなたか、近鉄帽譲ってくれる心優しい人いませんかーーー???

 

馬鹿にされた近鉄帽が誇れる帽子になるとき

そんな馬鹿にされた近鉄帽、巨人の帽子がほしい、と親に頼んでも買ってくれるわけでもなく、変わらずパ・リーグの試合を生観戦に連れていってくれるんですが、そんな近鉄バファローズが後に、心に残るチームになるとは思いもしませんでした。忘れもしません。1988年。当時小学四年生でした。そう、この1988年の近鉄バファローズは、球史に残る名試合と言われる、伝説の10・19の年です。

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実は、今日のブログでは、この10・19のことを書こうと思っていましたが、前フリが長すぎました(笑)続きは、また明日に書きます。

 

それでは、またーーー。

念願だった、エクスマ塾に入ることができました。

2日間の楽しさと情報量で、頭がパンパカリンになっていましたが、ようやく落ち着いてきました、もっさんです。

 

エクスマ実践塾84期大阪に参加できました。

5月9日ー10日と、エクスマ塾84期の第1講があり、滋賀県雄琴の温泉旅館へ行ってきました。

まず、エクスマ塾とは何?となると思いますが、創始者藤村正宏先生が提唱されている、エクスペリアマーケティング(略して、エクスマ)というマーケティングを学ぶ塾です。

5-6月下旬まで約2ヶ月かけて学んできます。

 

www.ex-ma.com

 

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こちらが、藤村先生です。

10年以上前だと思いますが、当時、藤村先生の本を、上司からオススメをされて読んだのが、エクスマの考えを知ったのが始まりでした。本を紹介されてから、同じ上司から、次はメルマガを紹介され、メルマガを登録し、それから、ブログもあることを知り、ブログを読み出し、iPhoneを持ってからは、TwitterFacebookをフォローし、自分のお小遣いでいけるセミナーに2回行き、お話しを聞かせていただいていました。

f:id:shigefujimo:20170511195006j:image 昨年、藤村先生が出版された本。まだ読んでいない人がいれば、ぜひ読んでほしいです。本が読めないボクでも、すーーーっと読めるわかりやすく書かれている本なのでオススメです。

 

そういった中で、藤村先生の考え方や、お弟子さんの皆さんが、とにかく仕事を楽しくしていること、好きなことで仕事を楽しくしていること、遊びのような仕事をされている(もちろんお仕事で成果を出されている)ことに興味を持ち、自分も同じように、楽しく仕事をしたいな、キラキラ輝いて仕事したいな、いつかエクスマ塾に行きたいな、って思いが積もり積もっていきました。

あるとき、ふと思ったんです。人はいつか死ぬんやけど、明日もし自分が死んだら、エクスマ塾に行かなかったら後悔するなと(笑)

積もり積もった想いと悟り(?)が今回参加することができました。(悟りから2年はかかりましたけど、学ぶ機会を得ることができました)

 

また、リアルにお会いして知り合うことができたお弟子さんの皆さんと仲良くさせていただくと、さらに皆さんがほんとに楽しくキラキラ輝いてお仕事していることがよくわかりました。

 

藤村先生が、ブログやSNSで書いているのを見たことがあるのですが、仕事って、人生の大半の時間を使うから、我慢して、辛い思いしながら仕事するのと、楽しく仕事するのって、どちらがいい?って。ボクはマゾでもないので辛い思いして、我慢しながら仕事したくないなって思いました。だから、ずーーーっとエクスマ塾に行きたい想いが募っていました。 

 

行くまでは緊張感でいっぱいに。

ずーーーっと行きたくて楽しみだったのですが、そうは言っても、ただでさえ、緊張しいのボクは、当日になると緊張でつぶされそうになりました(笑) 

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念願だったので、初日の出発の記念に自宅で撮影、ただし、もう緊張でいっぱい。遠足の前の晩ではないですが、前日、長野松本から帰ってきて、1時半ごろ布団に入り、1時間ごとに目が覚め、朝4時半に起きてしまう、というなんだかわからない夜を過ごしてしまいました。(こんなの初めてでした)

 

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名古屋駅から高速バスで京都駅までまず向ったのですが、まあこのときも緊張しまっくっていました。合宿の地、滋賀おごと温泉の温泉旅館に着く頃には、原因不明の胃がきゅーっとなってきたのは、おそらく緊張できたことでしょうね。

 

いよいよ第1講がスタート

緊張感でいっぱいでしたが、合宿がスタートしました。 細かいことは長くなりそうですし、整理して自分ができるようになったときに、改めて別の機会に書きたいと思います。

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すぐに自分ができること、まずやっていくことって2日間の合宿を通じて、

自分がされて嬉しいことを、自分からどんどんやっていこう

コツコツ、コツコツ、楽しんでSNSでまずは遊ぼう

とにかく楽しんでやること

この3つと思いました。2週間後の合宿まで頭を整理しながら、まずはこれらを意識して過ごしていきたいな、と思いました。 

 

あとがき

2日間を通じて、講義をしていただいた藤村先生、ありがとうございます。 

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1つでも多くの気づきを得られるようにエクスマ塾に参加したいと思います。

写真がブレブレになってしまったのが非常に残念、また次の合宿のときに撮らせてもらおうと思います。 

 

2日間お世話になった藤村先生とサポート講師の皆さん、そして縁あって同期となった皆さんと。

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サポート講師の皆さんには、講義中には色々と教えてもらい、また、緊張をほぐすためにたくさんコミュニケーションを取ってもらい、楽しくなるようにしてもらい、皆さん優しい人ばかりでお世話になりました。ありがとうございます。皆さん、いい人ばかりで、緊張は一気にほぐれました。

縁あって同期になった皆さんと、どんどん皆さんと一緒に楽しんで、コツコツやっていきたいな、と思いました。もちろん楽しいだけで終わらせるのではなく、楽しんで成果も出せるようにやっていきたいな、と思います。皆さんと6月下旬の第4講まで楽しく学んで過ごしたいと思います。よろしくお願いします。

 

また、今回、参加するにあたっては、家族の理解がなくては実現できませんでした。妻には、ほんとに感謝しており、塾で得たことを仕事で生かして、お客さんの役に立ち、成果を出して、キラキラ輝く夫であり、自慢の父ちゃんに、仕事を楽しくたってる父ちゃんの姿を見せれるようにすることで返していきたいと思っています。ほんとにありがとう。

 

そして、今回、色々と話を聞いてくださって、お世話になった、エクスマ塾生の下澤美香さん(A子ママ)にも本当に感謝しています。

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mika-shimosawa.hatenablog.com

A子ママには、長野に行くときに、一緒に食事をさせてもらって、話を聞かせてもらったり、逆に聞いてもらったり、今回のエクスマ塾に行くことにあたり本当にお世話になりました。ありがとうございます!

 

今から次回2週間後の合宿が楽しみです。

それではまたーーー。

高校野球のコーチに就任した元プロ野球選手中村紀洋さんの野球を教え「エラーも空振りも野球につきもの」

子供の頃、親父に買ってもらったプロ野球の帽子は、近鉄バファローズの帽子でした、もっさんです。

 

プロ野球選手の中村紀洋さんが、高校野球に帰ってきた

中村紀洋さんは、ノリの愛称で親しまれた元プロ野球選手で、大阪の渋谷高校で甲子園出場し、プロ野球選手として近鉄へ入団、以後、メジャーのドジャースオリックス→中日→楽天→横浜DeNAと経て活躍したホームランバッター。ホームランを打ったあとのバットを投げる姿が豪快で魅力的な選手。ホームランバッターではあるけど、軽快な三塁守備も魅力で、守備の名手に贈られるゴールデングラブ賞も受賞した打つのも守るのもいい選手でした。

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1年前、当時4歳の三男が、中村さんのプロ野球チップスカードを見て、「パパ、パパ」と言っていたのですが、似てますよね、やっぱり。よく言われたことあったなぁ。せっかくなので、当時は、「昔、プロ野球選手やってん」と子供の夢を壊さずにしておきましたが、1年たって、そろそろ気づくかもしれません(笑)

 

先日、その中村さんが、浜松開誠館高校の野球部にコーチに就任したと、こちらの記事で知りました。横浜でプロ野球選手は事実上引退になっていましたが、こうやって、今度はコーチとして、第二のノリを育てて甲子園を目指すなんて、楽しみすぎますねー。

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headlines.yahoo.co.jp

 

エラーも空振りも野球につきものという考え

記事の一問一答の中で、なるほどなー、って思った部分がありました。

空振りもエラーも野球につきものだから、かっこ悪いことえではないよと話した。

自分の長男、次男ソフトボールをはじめ、楽しく、厳しき鍛えられています。ボクは空振りもエラーも練習でもたくさんするけど、それを恐れて、避けて、びびったプレーをしてはいけないと思うんです。

例えば、中途半端なプレーは、結果悪いようになるし、実際に試合となればゲームに負けてしまうこともあります。また、エラーしたらコーチに怒られるから、三振したらコーチに怒られるから、と顔色を伺いながら、プレーするのもよくないと思っています。

 

なぜなら、エラーしてはいけない、と大事に動きすぎて、またボールに対して動けずにしているとエラーは生まれるし、逆に、ボールが来たら、思い切って1歩目が動けることがきちんとボールを捕れてアウトにできるんです。

 

だから、ボクはこの中村さんの記事を読んで、「エラーも空振りも野球につきもの」の部分は、「エラーも空振りも恐れずに、思い切ってプレーすることが大事なんだよ。練習ではエラーや空振りしてもいいじゃないか、試合でできるようにいっぱいチャレンジしよう」というように理解をしました。

 

今年から、ボクもコーチとして加入することになって、子供と一緒にやっていますが、中村さんのこの教え、「エラーや空振りを怖がらず思い切ってプレーするんだよ」を子供たちに教えていけたらいいな、と思いました。

と同時に、仕事においても同じじゃないかなって思いました。失敗することは恥ずかしいことではないし、失敗は失敗ではなくステップアップなんだと思いますので、たくさんチャレンジしてステップアップできたらいいな、って思いました。

ということで最後に、ノリさんのホームラン集をYoutubeで見つけたので、スカッとしてみてください。ホームランの絵になる男です。

ということで、それではまたー。